仲良くなった小林に一度「江川を恨んでます?」と尋ねたことがあった。
「当たり前だろう。オレの人生をめちゃめちゃにしたんだから」と笑っていた。もちろん冗談である。でも、半分は本音。本当は最後まで「巨人の小林」でいたかったのだと思う。
昭和46年、当時、社会人野球「全大丸」のエースだった小林はドラフト前、誘ってくれた球団に「来年7月の都市対抗に出て恩返しがしたいので」と指名を断っていた。それでも巨人が6位で指名。翌47年、宣言通り都市対抗に出場を果たした小林は大会後、待っていてくれた巨人に入団した。
その年に胸の病気で倒れた父親の進さんが、大の巨人ファンで「おやじの喜ぶ顔が見たかった」というのがその理由だった。そして54年1月31日、「江川騒動」に巻き込まれ、阪神へのトレードを通告された。どうしても納得がいかない小林に「巨人だけがプロじゃないんだ。阪神に望まれているのなら、行きなさい」と背中を押したのが進さんだった。2月1日午前1時30分過ぎ、小林は進さんに2度目の電話を入れた。
「阪神に決まったよ」
「そうか」
「ごめんね。巨人ファンなのに」
「いいや、ワシは小林繁のファンだよ」
55年夏、初めて小林と江川が相まみえた。「去年、巨人への意地は果たした。でも、江川との対決が終わらなければ、本当の〝阪神の小林〟になれない」と言っていた待望の対戦だった。
◇8月16日 後楽園球場
阪神 000 010 002=3
巨人 010 030 10×=5
(勝)江川10勝7敗 (敗)小林12勝6敗
(本)中畑⑮(工藤)
朝からの雨でぬかるんだマウンド。滑る人工芝。五回に山倉のボテボテの当たりを人工芝に足を取られて一塁へ悪送球したのがつまずきの始まり。続く河埜のバントも二塁へ悪送球し無死一、三塁。ここでなんと江川に中前タイムリー。さらに1死満塁から篠塚に左前2点適時打され〝独り相撲〟で自滅してしまった。
「これでやっとボクも普通の野球選手に戻れます。自分でまいたタネでないのにいつも人の興味にさらされて…。もうボクと江川、ボクと巨人のことは終わりです」。小林の中の〝けじめの一戦〟が終わった。(敬称略)