一筆両断

日帝残滓の清算、ハングルも追放するのか

 いつもながら日韓関係が喧(かまびす)しいですね。産経新聞の7月8日朝刊の1面トップの記事に、驚きながら大きな違和感を抱きました。『韓国、学校も親日清算-統治痕跡消す条例成立』という見出しで、書き出しは「学校内に残る日本による朝鮮半島統治時代の痕跡を「日帝残滓(ざんし)」(日本帝国主義の残りかす)と称して清算しようという条例案が韓国南部、済州島で全国で初めて可決された」とあります。校歌・朝礼・校木など日本時代から続く習慣や用語が残っていないかを調査し、場合によってはなくすための法的根拠だそうです。

 「あれあれ? 韓国の学校でそんなことをしたら、残る物の方が少なくなるのではないのかなあ」と老婆心混じりの驚きでした。

 日本と大韓帝国が併合された明治43(1910)年の朝鮮半島には、小学校が100校程度あるだけでした。しかも通えるのは朝鮮の特権階級(両班)の師弟だけでした。90%を超える人々が、読み書きができなかったといいます。

 それが昭和18(1943)年には、4271校の小学校がありました。師範学校やソウル帝国大学もありました。約35年間の統治時代に、日本が建てた公立学校の総数は5千校近くになります。

 今韓国にある教育機関の多くは、「日帝残滓」です。これも清算して、特権階級のわずかな小学校だけを残すのでしょうか。

 こんな例もあります。

 戦後すぐの昭和23(1948)年、韓国の李承晩大統領が「ハングル専用法」を制定しました。漢字使用を日本の影響下にあるものとし、「大韓民国の公文書はハングルで書くものとする」というものでした。

 実際に新聞など日常から漢字が消え始めたのは、昭和43(1968)年の春頃のようです。漢字追放の結果、何が起きたか-。ハングルは日本のひらがななどと同じく表音文字です。日本の本や新聞が、すべてひらがなで書かれていると想像してください。漢字が消えることで、同音異義語が多くなります。呉善花(オソンファ)氏は「語彙(ごい)の恐ろしいまでの貧困化がもたらされた」と分析しています。

 日本統治時代は日本の漢字仮名交じり文と同じく、漢字ハングル交じり文が推奨されていました。ただ、漢字だけが「日帝残滓」という単純なものではありません。

 豊田有恒氏は「韓国の漢字熟語は、中国起源ではなく、日本統治時代に日本語からもたらされたものである。明治以来、欧米の文物の摂取に熱心に取り組んだ日本は、論理、科学、新聞など多くの訳語を案出した。これらの訳語が、韓国ばかりでなく、漢字の本家の中国でも採用されていることはよく知られている。また韓国の漢字由来語の8割以上が日本製である」と指摘します。

 明治維新直後からしばらくの間は、朝鮮開化派であった福沢諭吉は、日本が西洋文明を取り込むために、まず英語を日本語に訳しました。「哲学」「背景」「化学」「環境」「芸術」「医学」「互恵」「説明」「方法」「共同」「主義」「法律」「演説」。挙げていけばきりがありません。「中華人民共和国」の「人民」も「共和国」も日本製の言葉です。

 こうした日本で生まれた言葉は、漢字を廃した現在の韓国でも使われます。

 カハク(科学)、ファハク(化学)、ムルリ(物理)、ミブン(微分)、チョクブン(積分)-。日常用語でもチョンム(専務)、サンム(常務)、ブジャン(部長)、チャング(窓口)、ケーチョング(改札口)、イブク(入口)、チュルグ(出口)。

 これも日帝残滓です。清算すれば使えなくなります。

 そもそも朝鮮に存在していたハングルは、両班から「劣等文字」「下賤の者が使う文字」としてばかにされていました。その文字を、朝鮮半島の子供に広めようとしたのは日本です。当時、朝鮮半島には本を大量に作る印刷所も製本所もなかったので、最初のハングルの教科書は東京で作られました。そして最初のハングルの活字を作ったのが福沢諭吉でした。漢字の次は、ハングルを「追放」するのでしょうか。

 福沢は明治維新初期は、朝鮮人政治家の金玉均に大いに肩入れし、朝鮮を助け朝鮮の近代化を夢見ました。

 その福沢が明治18(1885)年、かの有名な『脱亜論』を時事新報に書いたのはご承知の通りです。

 韓国の感情的な「親日清算」をみるにつけ、『脱亜論』を再読し、当時の福沢の「気持ちにおいては『東アジア』の悪友を謝絶するものである」という文章に思いをいたす良い時期であろうと考えます。

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 参考文献(百田尚樹「今こそ、韓国に謝ろう そして、「さらば」と言おう」、呉善花「「漢字廃止」で韓国に何が起きたか」、豊田有恒「韓国が漢字を復活できない理由」渡辺利夫「福澤諭吉の真実 士魂」)

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【プロフィル】今村裕

 いまむら・ゆたか 昭和31年、福岡市生まれ。福岡県立城南高校、福岡大学卒。兵庫教育大学大学院修士課程を修了。福岡大学大学院博士後期課程。公立小学校教諭、福岡市教育センター、同市子ども総合相談センター、広島国際大学大学院心理科学研究科などを経て、現在は大分大学大学院教育学研究科(教職大学院)教授。臨床心理士、公認心理師。

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