オールスターゲームの期間中、下位に低迷している球団の再建へ向けた動きは活発になる。すでに「監督交代」を決めている球団は、後任の監督候補への交渉を開始する。それは決して早すぎる動きではない。当時はシーズン終了後に来季へ向けたオープン戦が組まれており、そのあとのドラフト会議、冬季キャンプなどの日程を考えれば、できるだけ早く新体制を組みたいところなのだ。
打診を受けた候補者はコーチとして呼びたい人材に「まだ、表に出せない話だが、そのときは頼む」と声を掛ける。すべての動きは“水面下”で行われているはずなのだが、こうした動きはアッという間にマスコミに知れることとなる。
昭和55年7月21日、東京・稲城市の東京よみうりカントリークラブで『巨人軍OB親睦ゴルフコンペ』が行われた。真夏のゴルフ大会は異例の〝OB招集〟だった。出席者は水原茂、川上哲治、千葉茂、青田昇、荒川博、金田正一、藤田元司らそうそうたる顔ぶれ。
巨人OBたちは6月上旬に一度「再建会議を開こう」としたが、仕事の都合が合わずに流れた。その動きを察知した球団が「オーナー、代表、OBのコミュニケーションの場を持とう」と計画し、同コンペの開催となったのである。
「建設的な意見が自然発生的に出てくればありがたいんですが…」と長谷川球団代表。前半戦を終わった時点で巨人の成績は28勝34敗8分け。首位の広島に13・5ゲーム差をつけられて5位に低迷。6年目を迎えた長嶋巨人は最大のピンチに立たされていたのである。
OBたちの意見は容赦なかった。
水原「再建するためには監督だけでなくフロント、スカウトが2、3年それなりの期間を設けてじっくりやらなければダメだ」
川上「今後は勝負にこだわるより、若い人を育てることに切りかえるべきだ。基本がないがしろにされている」
千葉「長嶋野球の〝それゆけ、やれゆけ〟じゃあついて来ない。長嶋監督には選手を引きつける采配とか魅力あるものを見せてほしい」
〈なんで阪神にはこんな動きがないんやろう〉虎番1年目の筆者の目には羨(うらや)ましく映った。平本先輩によると「阪神は昔からOBや選手と電鉄本社の首脳とが個人的に結びつき、派閥争いのタネになっとるからな。難しい」という。巨人と阪神の〝球団体質〟の違い-を初めて知った。(敬称略)