朝晴れエッセー

あの夕日を見に帰りたい・8月15日

呉軍港の向かいに大小の島が連なる瀬戸の内海はいつも穏やかに波が打ち寄せている。夕日は大きく赤く美しい。私は妹と手を繋(つな)いで路面電車の畑停留所へ、毎日、夕方、母を迎えに行った。

沈みかけた夕日に向かって坂道を下っていく。母の勤めている呉海軍工廠(こうしょう)がすごい爆撃を受けた日、母のことを心配しながら電車を待っていると、やがて母が降りてきた。妹は母に飛びついてゆく。こんな妹をうらやましく思った。

妹を抱えながら母が言った。「空襲警報が鳴ったらお母ちゃんのことはええけん、祥ちゃんと2人で逃げんさいよ」と、私は生まれて初めて哀しい涙があふれてきた。

誰にも見られないように涙をふいた。そして、真っ赤な夕日が、今、島影に沈んでしまったのを見ていた。母は2人の防空ずきんや救急袋をきれいにかけ直し、いとおしむように2人を抱いてくれた。

終戦の日、同じように私たちは母を迎えに行った。電車を降りてきた母は、2人の防空ずきんと救急袋をはずさせて「戦争は、終わったんじゃけん、もうこんなものはいらんのよ」と言った。理由のわからない私は、それでも何か心が明るく、はずんできたように思えた。

月日は去り、やがて妹が逝き、母が亡くなり、私は84歳になった。悲しい日々や、つらい日が多い人生だったけど、頑張って今日まで生きてきた。終活を穏やかに送りたい。

もう一度あの夕日を見に呉に帰ろう。

三木瑩子(えいこ)(84) 兵庫県尼崎市