虎番疾風録

ジェシー 命名「渡辺大五郎」 其の参37

虎番疾風録 其の参36

ことし(平成31年)4月、大相撲の横綱白鵬が母国・モンゴル国籍からの離脱を、同国政府に申請していることが明らかになった。日本相撲協会では引退後、協会に「年寄」として残るためには「日本国籍が必要」と定めており、今回の申請は白鵬の帰化―引退―そして年寄名跡襲名への第一歩とみられている。

「年寄」(親方)になるには、まず日本国籍を持ち、現在105家ある年寄名跡(通称年寄株)を取得する必要がある。さらに部屋を新設して「師匠」になるためには(1)横綱、大関(2)三役(関脇、小結)通算25場所以上(3)幕内通算60場所以上―いずれかの条件を満たしていなければいけない。

相撲担当記者によると、横綱の場合は年寄名跡を襲名せずに引退しても、5年間は力士名のまま「親方」になれ、傑出した功績が認められれば、定年(65歳)まで力士名のまま親方となれる「一代年寄」(過去に大鵬、北の湖、貴乃花の3人)が授与される。

所属している宮城野部屋に、自らがスカウトした新弟子を入門させるなど、後進の育成に強い関心を示している白鵬は、引退したあと独立して「白鵬部屋」の設立も視野に入っている。

これまでに帰化した主な力士は小錦、武蔵丸(武蔵川親方)、旭天鵬(友綱親方)、琴欧洲(鳴戸親方)。そして第1号が「ジェシー」の愛称で愛された高見山(元東関親方)である。

筆者と高見山とは少し「縁」があった。昭和54年の入社1年目のこと。「朝汐番」を命じられ3月の大阪場所前に約1カ月間、高砂部屋に通った。初めて宿舎を訪ねた玄関で「こんにちは! 誰かいませんかぁ!」と大声を出すと「誰もいないよぉ」と奥から顔を出したのが高見山だった。

朝汐が高見山に「こいつ、サンスポの新弟子」と紹介したおかげでジェシーは筆者のことを「シンデシ」と呼んでもてあそんだ。その高見山の帰化申請が55年6月3日、許可され「官報」の法務省告示に記載された。日本名は加寿江夫人の旧姓「渡辺」をとり『渡辺大五郎』。午後3時から東京都台東区柳橋の高砂部屋で会見した高見山は、いまの気持ちを尋ねられ―。

「まだ、ピンとこないね。カンポー(官報)って何のことだか分からなかった。クスリをもらえるのかな-って思っていたよ」と笑った。(敬称略)

虎番疾風録 其の参38

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