石平のChina Watch

訃告に込めた「鎮圧宣言」

死去した中国の李鵬元首相(左)、平成14年の来日時、小泉純一郎首相(当時)との会談で=首相官邸
死去した中国の李鵬元首相(左)、平成14年の来日時、小泉純一郎首相(当時)との会談で=首相官邸

先月24日、人民日報は1面で、李鵬元首相死去の訃告(ふこく)を大きく掲載した。党中央と中国政府の名義で発表された訃告はまず、「政治家李鵬」のことを高く評価して、故人の生前の実績とはあまりにもかけ離れた、「傑出した革命家、卓越した指導者」などと最高級の賛辞をささげた。

死去した元指導者に対するこのような褒め方は、鄧小平氏死去以来のことであろう。1988年に首相になってからの十数年間、李氏はむしろ、鄧氏が進める改革に対する抵抗勢力の中心人物の一人として、知識人や若者たちの民主化訴求に対する超強硬派として知られていた。

それが故に、李氏は現役の時でも引退してからも、国民の間では大変不人気であって争議の多い人物である。その彼が死去に際し、習近平政権から上述のような高い評価を受けたことは実に意外に思われるが、それは、習政権と習近平主席自身の政治的スタンスを表している。つまり習主席はこれで、自分自身が鄧氏や胡耀邦氏らの党内改革派・開明派よりも、李鵬氏のような保守・強硬派勢力の政治路線の後継者であることを内外に宣言したのである。

訃告でもう一つ、注目すべき点は、1989年の天安門事件における李鵬氏の役割をことさらに取り上げて高く評価したことだ。このくだりの原文(邦訳)はこうである。

「1989年春から初夏までの政治風波(騒動)に当たり、李鵬同志は旗幟(きし)鮮明にして、政治局大多数のメンバーとともに果敢なる措置を講じて動乱を制止し反革命暴動を鎮め、国内情勢を安定化させた」

この文言を読んだとき、私はさすがに驚いた。30年前の天安門事件当時とその直後、共産党政権は確かに「動乱」と「反革命暴動」といった表現を使って民主化運動を厳しく非難し、当局の血の鎮圧を正当化していたが、時がたつにつれ、天安門事件のことを人々の記憶から遠ざけようとする思惑から、政権側は事件のことにあまり触れなくなって、「動乱」とか「暴動」とかの際どい表現をできるだけ避けるようになった。

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