「二塁」へのコンバート。ようやく〝定位置〟がきまった安堵(あんど)からか岡田のバットは冴(さ)えに冴えた。
5月10日、広島球場での広島戦。五回2死走者なしで回ってきた第3打席、岡田は先発の金田から左翼へ4号ホームランを放った。プロ入り16試合目、53打席目での4号は、昭和44年に22本塁打を放ち「新人王」に輝いた田淵の17試合目、59打席目より早い到達。5月に入って6試合で4ホーマー、22打数9安打の打率・409、8打点の大活躍だ。
「岡田も田淵さんみたいに新人王が取れればええですね」と記者席で平本先輩に声をかけた。すると「ブチ(田淵)の4号もたしか…5月10日の試合やなかったかなぁ」という。
調べるとその通り。44年5月10日、甲子園球場での巨人戦。六回1死一塁の場面でエース堀内から左翼へ4号2ランを放ち、江夏の完封勝利に花を添えた。しかも、偶然がもう一つ。両者とも3打席目の一発だった。
岡田の活躍とともにチームにも「勢い」が出てきた。13日、甲子園球場での大洋戦、阪神ベンチには25日ぶりに復帰した掛布の姿があった。大事をとって出番はなかったものの、主砲の復帰はベンチをさらに活気づけ8-2で快勝。そして翌14日の大洋戦も猛虎の快進撃は続いた。
◇5月14日 甲子園球場
大洋 000 200 001=3
阪神 300 020 02×=7
(勝)山本4勝1敗 (敗)斉藤明3勝5敗
(本)福島(2)(山本)
一回無死満塁のチャンスで「5番一塁」で先発出場した藤田平が、先発・斉藤明の初球を中前へ2点タイムリー。さらに五回には2死一、二塁でまたしても初球を右翼フェンス直撃の2点タイムリー二塁打。投げては山本が完投で4勝目を挙げた。5月に入って7勝2敗。4連勝で阪神は4位に浮上した。
「ベリーグーだ。まったくボクの仕事がないね」。ブレイザー監督も会心の笑みを浮かべて会見を終えた。
岡田の二塁もコンバートも順調。掛布も戦列に戻ってきた。藤田平も調子を上げ、さらに球団は「外野の大砲」としてメッツのボウクレア外野手を急遽(きゅうきょ)補強するという。整った〝反撃〟態勢。まさに順風満帆-。この状況のどこに「辞める」理由があるというのだろう。だが、翌15日、ブレイザー監督は辞めた。(敬称略)