ゴールデンウイークが明けた5月6日、ようやく掛布に「13日の大洋戦からの戦列復帰OK」の診断が下りた。ブレイザー監督の構想では掛布は「三塁」。となると岡田の新しいポジションを早急に決めなくてはいけなかった。
候補に挙がったのは「一塁」と「二塁」。一塁はブレイザー監督が初めて岡田にコンバートを指示したポジション。二塁は岡田にとって北陽高―早大を通じて初めての守備位置だった。守備コーチを務めていた安藤は当時をこう振り返った。
「ブレイザーは新人の岡田を使う気がまったくなかった。テンピ・キャンプで〝外野〟に転向させようとしたときも、コーチ陣が〝彼の将来性を考えれば内野手の方がいい〟と進言しても、聞き入れなかったしね。状況が変わって、岡田を使うようになっても、岡田をどう育てるか―ではなく、今の戦力で岡田を使うとしたらどこのポジションがいいか―の選択だった」
三塁・掛布と遊撃・真弓は固定。一塁にはようやく故障(左太ももの部分断裂)から戦列に復帰してきたベテランの藤田平がいる。となると残った内野のポジションは「二塁」しかなかった。
5月8日、ヤクルト戦が雨天中止となった岡山県営球場で、午前9時半から岡田の「二塁」への特訓が始まった。
梅本コーチのノックする打球を岡田が追いかける。もっとも時間をさいたのは遊撃手との併殺プレーだ。二塁ベースに入った岡田が遊撃・安藤コーチからの送球を、体をひねって一塁へ送球する。「違う! オカダこうして入るんだ」とブレイザー監督の声が飛び、自らが手本を示す。10回、20回…と練習は続いた。
「いまのところ、グラブさばきなどいいものは持っている。もう少し練習させてから定着させるかを決める」
ブレイザー監督は慎重だった。だが、安藤は岡田の二塁ベース上でのプレーのうまさに驚いたという。
「当時は走者のスライディングも激しい。本気で野手を蹴り上げてくる。二塁手はそれに負けたら終わり。岡田には相手の顔に送球をぶつけるだけの気迫と肩の強さがあった。それは天性の素質だと思った」
「二塁手・岡田」誕生まで、あとわずかだった。(敬称略)