虎番疾風録

雲の上から主砲が降りてきた 其の参30

虎番疾風録 其の参29

表舞台でルーキー岡田の華々しい活躍が続いていたとき、主砲・掛布は三塁側アルプススタンド下の穴蔵のような薄暗いトレーニングルームで、黙々とリハビリに励んでいた。

負傷した左ひざに負担がかからないようにと考案された約30種類の筋力強化体操を各1分ずつ。大阪・福島区の厚生年金病院、黒津整形外科医長によれば、この〝1分間体操〟を「ゴールデンウイークが明けるまで続ける必要がある」ということだった。

ところが4月29日、突然、ユニホーム姿で甲子園球場に現れたのである。「少しは体を動かさないとね」とキャッチボールに軽いジョギングまで。久々に報道陣に取り囲まれた。だがそれは、まだ無茶(むちゃ)な行為だった。翌日、黒津先生から「いま、無理をしたら何にもならない」と叱られ、掛布はまた〝穴蔵生活〟に戻った。

実はこのときもまだ、筆者は掛布と話ができなかった。本塁打王の威厳、負傷によるいら立ち、近づきがたい〝雲の上の存在〟だったのだ。

リハビリに励む掛布を、各テレビ局やスポーツ紙も「苦悩する主砲」―と取り上げ、多くの記者たちが取り巻いた。だが、それも時がたつうちに1人減り、2人減り、いつか筆者一人になっていた。何も尋ねない、じっと体操を見ているだけ。ある日のこと、掛布の方から声を掛けてきた。

「岡田のところへ行かなくていいのか?」

「うん、岡田は先輩たちがみてるから。オレ、掛布番やねん」

掛布が少し笑ったような気がした。

「その1分間体操、きついんか?」

「一緒にやってみるか?」

フゥ、フゥ汗をかきながらいろんなことを話した。2人が同い年であること。自宅が近いこと。趣味や女性の好みまで。そして筆者が高校生の頃の話も―。

「千里セルシー(大阪・豊中市の商業施設)にめっちゃかわいい女子中学生がおるという噂があって、友達と一緒に探しに行ったことがあるねん。その女の子ちゅうのが、たしか住谷安紀子さんやった」

「えっ、お前、ウチの女房の〝追っかけ〟したの? 信じられねぇ」と大笑い。2人は急速に仲良くなった。

掛布は寂しかったのだと思う。40年近くたったいまでも掛布は、この日のことを覚えているという。雲の上から主砲が降りてきたのである。(敬称略)

虎番疾風録 其の参31

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