今日は、参院選の投・開票日である。この約1カ月間、諸政党、諸候補者の政見をあれこれ聞いた。そのどれにも共通するものは〈国民の幸せ〉の追求。 なるほど。政権を担当するには、それが最大にして最終目的であろう。
しかし、幸せと言うのでは範囲が広すぎ、抽象的だ。早い話が、物質的幸せは、まあ達成可能としても、精神的幸せとなると、これはもう他人の出る幕ではない。
にもかかわらず、どの政党もどの候補者も、幸せいっぱいへの大合唱。天下泰平である。
ではもし、突如、外国が侵略してきたらどうする。しかし国防問題を述べた候補者はほとんどいなかった。おそらく票にならないと踏んだからか。
つまり、本当に大事な問題を避けての政権宣伝というところか、有(あ)り体(てい)に言えば。
ところで、記事に出ていたが、今回、議員定数が6、増えている。
と言うのは、このところ人口が変動しているのに、その人数に応じての議員定数になっていないとし、その是正を求めての結果、6増えたとのこと。
本来ならば、人口減となった選挙区の議員定数の数を減らせばすむことだが、そういう話となると大騒動が必至。そこで人口増の選挙区が定数増となったとの話。一見、合理的。
しかし、老生、疑問に思う。議員定数の議論には大前提がある。すなわち有権者全員が投票するという性善説である。この前提があるからこそ、それぞれの選挙区の人数に対応する議員の数を公平にすべしという話になれるわけだ。すなわち投票率百パーセントとしての話。
けれども、投票率百パーセントなどという選挙区はない。それは虚構である。もっとも政府は期日前投票という制度を奨励して百に近づこうという努力をしてはいるが。
となると、例えば10年間を基準にすると、国政選挙は5回はあるだろう。その5回すべて、あるいは8割において棄権した者は、以後10年間の投票権停止とすればいい。
また例えば、10年を単位として、ある選挙区の投票率が20%などと極端に低いとき、その1票を満額としないで、1票の20%相当に換算してもいいのではなかろうか。同選挙区の者は己の意志で権利を棄てたわけであるから、それくらいの不利は覚悟すべきだ。
そうそう、あるメディアから電話がかかってきた。選挙についてのアンケート。
これがまたおかしい。ある問題について、賛成か反対か、問うてきたのだが、賛・否以外の場合は、「どちらでもない」と答えよという。
「どちらでもない」などというのは、答えになっていないのではないか。どちらでもないのなら当然、それ以外の新意見を言うべきであろう。それもないそのときは「分からない」というべきだ。意地悪老生、すべて分からないと答えてやったわ。
『論語』泰伯に曰(いわ)く、〔議員の〕任、重くして、道遠しと。(かじ のぶゆき)