朝晴れエッセー

マイ ネイム イズ… 7月18日

放っておいた写真や手紙を片付けておこうと、何十年かぶりにロフトに上がった。ロフトにある衣装ケースの中に1961年4月18日付のペンフレンドの最初の手紙があった。父の友人家族からの紹介がきっかけで、今も文通を続けているミッチェルの最初の手紙だ。「マイ ネイム イズ ミッチェル ファーグソン」で始まっている。13歳で8年生だった。

彼女からの手紙の封を切るとアメリカの匂いがした。「アメリカの空気が入っている」と言って母と笑った。13歳の私は英語がわからず、中学の英語の先生に手伝ってもらって文通を始めた。「死ぬまで友達でいよう」と約束した。彼女と文通を始めて、私の小さな世界は大きく広がった。

四国の田舎で生まれ育った私が、英語を勉強し、日本語教師になったのも、彼女と文通を始めたことにある。メールの時代になっても私たちは手紙にこだわった。

彼女は「死ぬ前にあなたの書いた手紙を読みにこい」と言う。「マイ ネイム イズ マチコ オダニ」で始まった59年間の私の過去に向き合うのは、恥ずかしいような、照れくさいような、怖いような気さえする。

「私は100歳まで、生きたい。そのためにはどのくらいお金がかかると思うか? テキサスまで主人と2人で行く余裕はない」と書いた。「じゃ、95歳までにして、残りの5年分のお金で、今テキサスに来ればいい」と返事がきた。

彼女は娘さんに「自分が死んだら、真知子の手紙は処分するように」と言ってあるそうだ。

佐々木 真知子 72 仙台市太白区