昭和55年4月11日、本拠地での〝開幕〟大洋戦。ファンは名古屋から戻ってきた猛虎たちを異様な熱気で出迎えた。
「オ・カ・ダ!」「オ・カ・ダ!」。試合前から岡田コールが鳴りやまない。それは、ルーキー岡田を使おうとしないブレイザー監督への〝抗議〟のコールだった。それでも岡田の名前はスタメンにはなかった。
ファンも負けてはいない。中西コーチが代打を告げに出てくる度に「オカダ!」「オカダ!」の大合唱。揚げ句の果てにはヒルトンの打席でも大声で岡田コールだ。
「ヒルトンなんか応援しとれんわ。岡田は新人王をとらなあかんねんで。なんで使わんのや! ブレイザーは意固地になっとるんや。出すまでやめへんで」。スタンドで太鼓を打ち鳴らす私設応援団のおっちゃんも、それ「オ・カ・ダ!」。
◇4月11日 甲子園
大洋 000 000 315=9
阪神 100 000 030=4
(勝)平松1勝 (敗)池内1敗1S
(本)ジェームス(3)(工藤)(4)(池内)、田代(2)(池内)
4-9と大洋の5点リードで迎えた九回裏、ついに「代打・岡田」が告げられた。ベンチから岡田が出てくる。「オオオッ」と地鳴りのような大歓声が湧き起こった。2度、力強くバットを振り、口をとんがらせて打席に入った。マウンドにはエース平松。
【1球目】抜いたタマを引っ張って三塁線へファウル【2球目】落ちるタマを見逃して2-0【3、4球目】ボールを選んで2-2【5球目】ストレートが外角へ。「外れている」。岡田は自信を持って見送った。だが、球審の右腕が上がった。「不思議な偶然や」と記者席で平本先輩がつぶやいた。
「田淵もな、プロ初打席で平松に見逃しの三振に抑えられたんや」
44年4月12日、甲子園球場での大洋1回戦。ルーキー田淵は九回1死で江夏の「代打」で登場した。マウンドには平松。田淵は1球もバットを振らずに3球三振に倒れた。
「振らずにじゃない、振れなかったんだよ。速すぎてボールが見えなかった」と後年、田淵は振り返った。
岡田は見えていた。「絶対に外れたと思ったけど…」と、また口をとんがらせた。〈田淵超えや〉とうれしくなった。(敬称略)