虎番疾風録

岡田2軍にファンは限界 其の参23

虎番疾風録 其の参22

ドカベン香川が広島で〝春〟を迎えていた頃、阪神の岡田もナゴヤ球場で行われたウエスタン・リーグの中日戦に「3番・三塁」で出場していた。

4月8日の1回戦、4打数1安打1四球。八回に左前へ初ヒットを放った。翌9日の2回戦では5―0で迎えた第2打席、四回無死一、二塁の場面で中日・美口から左中間スタンドへプロ入り初本塁打を叩き込んだ。

スタンドにはブレイザー監督や首脳陣がズラリ。だが岡田の表情はさえない。「公式戦の第1号がウエスタン・リーグで出るなんて、プロに入る前は考えもしなかったですわ」と口をとんがらせて吐き捨てた。〈ええ根性してるがな。その意気や〉広島から駆けつけた筆者はうれしくなった。

それより、気になったのが岡田の守備位置である。なぜ、三塁なのか―。1軍の試合に出るために「経験をつませる」のが目的なら、オープン戦で守っていた「外野」のはず。将来をにらんでの「育成」なら「一塁」か「二塁」。いかに早大時代に三塁手だったとはいえ、主砲掛布が君臨する「三塁」を守らせる意味が分からなかった。

「ようは1軍で使う気がない―ということや。先発で使う気があったらブレイザーからなんらかの指示が出とるはずや」とは平本先輩の見解。香川と岡田を比べれば、監督の姿勢、方針に雲泥の差があった。

10日の3回戦は中日の先発投手にルーキーの牛島が起用された。試合前、筆者は驚かされた。その顔には黒い眉毛があり、額の剃り込みがなくなっていた。それよりも「ご無沙汰しております」と帽子を脱いでお辞儀をしたのである。

浪商時代、取材で学校を訪ねると、「おもろない科目やから、ええねん」と授業中でも教室から下りてきた。あの〝やんちゃ坊主〟が…。中日の担当記者によると「星野が牛島を一から教育し直した」という。入団したとき、どんな指導者、先輩に出会えるかでその選手の〝運命〟が大きく変わる。星野に出会った牛島は幸せ者である。

岡田は三回と五回に左前安打を放って力の差をみせつけた。「昼」の活躍。それでも「夜」の1軍の試合では出番はなかった。「ベンチから見るのも勉強になるから…」。岡田はじっと耐えていた。そんな姿にファンの心はもう限界に達していた。(敬称略)

虎番疾風録 其の参24

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