新・仕事の周辺

河合香織(ノンフィクション作家) 最後まで消えない余白

河合香織さん
河合香織さん

 取材依頼の手紙を便箋に書いてから2カ月もの間、手元に置いている。担当編集者にはあきれられ、「手紙を投函(とうかん)するだけのことがなぜできないのか」と問い詰められた。そう言いたくなる気持ちもよくわかる。けれども、私にとってこの逡巡(しゅんじゅん)する空白の時間は、ノンフィクションを書くためになくてはならないのだ。

 私は人に話を聞かせてもらい、それを文字にすることを生業(なりわい)にしている。子供を殺された親に話を聞き、子供を殺そうとした母のところにも行く。事件でなくても、その人の心の柔らかい部分、そっとしておいてほしいという部分に耳を傾けることも少なくない。

 この仕事を始めたばかりの頃、「取材を受けるということは、自分という存在が奪われるような経験で、だからこそ余白を残して全部を聞こうと思ってはいけない」と先輩から教えてもらったことがある。一期一会かもしれないから、その場ですべて聞き尽くさないといけないと思っていた当時の私には、意外に思えた。

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