書評

『庭とエスキース』奥山淳志著

『庭とエスキース』
『庭とエスキース』

 ■「年の差半世紀」の友情物語

 25歳のとき、勤めていた会社を辞め、写真家として独り立ちしようと決めた奥山淳志さんの胸中にあったのは「『遠くにある人生』に触れたい」という願いだった。触れるための手段として、写真を撮ることが有効なのではと考えてもいた。

 時を同じくして出会ったのが、「弁造さん」だった。

 自作の丸太小屋で寝起きし、先に亡くなったご近所の人の服を譲り受けて身にまとい、やはり自身でつくりあげた庭から糧を得て暮らす人。1920(大正9)年生まれ、北海道開拓の最後の世代で、そのときすでに78歳と、奥山さんよりも半世紀も長くこの世を生きていた弁造さんの来し方は「遠くにある人生」だと思えたのかもしれない。

 弁造さんの暮らしには「自給自足が惨めではいかん。自給自足は喜びなんじゃ。だから、我慢した生活ではいかんのじゃ」との言にもあらわれる、たしかな明るさがある。

 当初、その生活に向けられていた奥山さんのカメラと心は、だんだんと、弁造さんが絵を描く時間、「今でも絵描きになりたい」と繰り返される言葉、モチーフとして選ばれた女性像、さらには、描くという行為そのものに強く引きつけられていく。

 「弁造さんが絵を描く。そう思うと僕は不思議なほどに満たされ、決して消えることのない火種を見つけ出した気持ちになるのだった」

 ふたりの交流が続くうち、弁造さんの年齢は90を超え、奥山さんも、写真家としての実績を積み重ねながら、青年と呼ばれる時期を過ぎていく。

 「あんたが好きなときに来りゃあいい、わしは毎日、ここにいるだけじゃ」と奥山さんを迎え続けた弁造さんは「ここにいる」ことのできる残りの時間を数えはじめる。滑り落ちていくような加齢は止められない、年の差は埋まらない。それでもふたりは、信頼関係があってこそ愉快に響く憎まれ口を叩き合いながらも、向かい合う。

 タイトルどおり、北国につくられた小さく美しい自給自足のための、手掘りの池と果樹のある庭の記録であり、絵を描くという行為に迫るノンフィクションでもある。そしてなんといっても、文章と写真で綴(つづ)られた、切実な友情の物語なのだ。(みすず書房・3200円+税)

 評・木村衣有子(文筆家)

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