3つの「謎」百舌鳥・古市古墳群

(上)王陵、なぜ奈良から大阪に

日本最大の規模を誇る仁徳天皇陵古墳(奥)と、3位の履中天皇陵古墳(手前)。世界文化遺産への登録も正式決定した=堺市、本社ヘリから
日本最大の規模を誇る仁徳天皇陵古墳(奥)と、3位の履中天皇陵古墳(手前)。世界文化遺産への登録も正式決定した=堺市、本社ヘリから

 百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群の世界文化遺産登録が、正式に決まった。大阪初の世界遺産で、日本の古墳文化が世界に誇るものと認められた意義は大きい。一方で、両古墳群にはいまだに解きがたい「謎」がある。最新の考古学や古代史の研究成果をもとにこの謎に迫る。(客員論説委員 渡部裕明)

 大阪・河内地方の中部、藤井寺市。同市役所庁舎の北側の窓からのぞくと、緑に覆われた小さな森が目に入る。津堂城山(つどうしろやま)古墳だ。墳丘長が210メートルに達する前方後円墳で、周囲には豪壮な二重の濠(ほり)が巡る。後円部からは明治末、「王者の棺(ひつぎ)」と呼ばれる長持形の石棺(せっかん)や銅鏡、鉄剣なども発見された。

 この古墳が特別な存在とされるのは、百舌鳥・古市古墳群(大阪府)で最初に築かれた200メートルを超える巨大古墳だからだ。それまでヤマト政権の大王(天皇)級の墓はいずれも奈良盆地にあった。だが、大和川を西へ下ったかのように、初めて外に出たのである。

 「時期は4世紀後半。これを機に大王陵が百舌鳥・古市に引っ越してきた点で、津堂城山古墳の持つ意味は大きい」

 古市古墳群の発掘調査を長く見守ってきた、天野末喜(すえき)・奈良大非常勤講師(考古学)は言う。

 津堂城山古墳からそれほど時をおかず、古市に仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳(仲津山古墳、墳丘長290メートル)が、百舌鳥には全国第3位の履中(りちゅう)天皇陵古墳(同365メートル)が姿を現す。そして大型化は5世紀半ば、頂点に達した。同486メートルと全国で最大の仁徳天皇陵古墳(大山〈だいせん〉古墳)である。

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