1964年東京五輪聖火リレー秘話 米統治下の沖縄「日の丸で埋まった」

 1964年10月10日。東京五輪の聖火が国立競技場に灯(とも)された。終戦からわずか19年。平和への願いが込められた聖火は日本航空特別機でギリシャから運ばれ、最初、米軍統治下の沖縄に到着した。客室乗務員として特別機に搭乗した横尾政夫さん(85)=東京都在住=は「島が日の丸で埋まったようだった」と55年前の光景を振り返る。

 1964年東京大会の聖火は同年8月21日にギリシャのオリンピアで採火。アジア地域11カ所を経由し、約2週間あまりのフライトで沖縄に届けられた。1万5508キロにわたる長旅を担ったのは特別機「シティ・オブ・トウキョウ号」。機内に特設された「聖火台」に、予備も合わせて3つの火が灯され、筒状の装置の中で厳重に保管された。

 トウキョウ号に乗り、経由地で食料を調達したり、機内で食事提供をしたりする役目を担ったのが横尾さんだった。当時30歳。「なぜ私が選ばれたのかはわかりませんが、健康だったからでしょうか。通常と同じ気持ちで臨んだ」と話す。

 各経由地の空港では、アジア初の聖火が到着するとあって、黒山の人だかりができた。唯一のトラブルといえば、沖縄到着を目前にした香港で台風が直撃したこと。代替機が用意され、なんとか沖縄にもたらされた。

 横尾さんが胸を熱くしたのは、9月7日、那覇飛行場に到着したときのことだった。飛行場を埋め尽くす沖縄の人たちが、日の丸の旗を振っている-。米軍統治下で日の丸を掲げることは原則禁止されていたが、横尾さんは「涙を流している人もいて、沖縄が日の丸の旗で埋まったように感じた。感激した」という。

 横尾さんは開会式の日は、仕事のために日本に滞在しておらず、歴史的な瞬間に立ち会うことはできなかった。それでも「成功させなければいけない国家的事業に携われたのは、今考えるとすばらしいことだった」と振り返る。

 来年の祭典を前に「短い人生の中で2回も五輪に関われるなんて夢にも思っていなかった」と横尾さん。半世紀ぶりに届く聖火をつなぐリレーに「どこかでランナーとして運べればいいなと思う」と希望を抱いている。(久保まりな)

 2020年東京五輪聖火ランナーの都道府県分の募集が7月1日から始まる。日本コカ・コーラなど協賛4社もすでに募集を始めており、いずれも締め切りは8月31日。都道府県分は各実行委員会が2500人程度を選考する。

 ランナーは、新中学生となる平成20年4月1日以前に生まれた人が対象。国籍や性別は問わず、原則として、希望する都道府県での居住経験など何らかのゆかりがあることが要件になる。都道府県1カ所と協賛4社に各1回ずつの1人最大5回まで応募できる。走行できるのは1回のみ。

 聖火リレーは来年3月に福島県からスタートする。