虎番疾風録

「岡田一塁」ブレイザー構想に「?」 其の参9

虎番疾風録 其の参8

阪神の新外国人選手が誰になるかよりも、ルーキー岡田の守備位置がどこになるのか―の方が気になった。

「彼は非常に素質のある選手だ。すべてのポジションで試してみたい」というのがブレイザー監督の方針。まさか「投手」や「捕手」はないだろう。ところが、当時、サンケイスポーツの専属評論家を務めていた岡本伊三美は「ないとは言い切れん。彼の頭の中には、新人選手は〝どこでも一応テストしてみる〟という考え方がある」と指摘した。

実はブレイザーが南海のコーチを務めていたとき、昭和46年のドラフト3位で鹿児島実から入団したルーキーの定岡智秋(ちあき)遊撃手を『肩が強いからキャッチャーで育てるとおもしろい』と真剣に進言したという。

「われわれにすれば〝そんなアホな〟と思うことが、彼には、一番いいところを探してやっている―になるんだよ」

当時、選手兼監督を務めていた野村克也が却下し「定岡捕手」案は消えたが、今回はブレイザーが監督。現場トップが「捕手にする」と言えば…。

もう一人の専属評論家、牧野茂(巨人V9時代のヘッドコーチ)は「私が岡田起用を任せられたら、二塁で使いたい」と断言した。

「岡田はサイドからスローイングができる。基本からやり直せば、二塁手としては最適である。将来の幹部候補生として、まず、内野で一番ヘッドワークを使う二塁で育てたい」

「岡田二塁」―新米の虎番記者もその案に大賛成だった。当時の阪神の内野陣は三塁・掛布、遊撃・真弓。一塁には故障明け(左足太ももの肉離れ)の藤田平。そして二塁は中村勝、榊原、加藤博。岡田の打撃力を生かすなら「二塁手」として育てるのが最良と思われた。

2月3日、甲子園球場。ようやくブレイザー構想がベールを脱いだ。だが、シートノックで岡田が指示されたポジションは「一塁」。岡田の横には安藤守備コーチがつきっきりで指導した。

「ミットも使いにくいし、一塁は正直いってやりにくい。でも、ポジションは決まった方がスッキリする。まだ、気持ちの切り替えはできていないけど…」と岡田は複雑な表情。

〈ほんまに一塁手にする気やろか〉筆者にはどこか納得のできないものがあった。(敬称略)

虎番疾風録 其の参10

会員限定記事会員サービス詳細