《日本のお家芸といわれた体操男子は団体総合で1960年ローマ大会に続いて2連覇を達成。早田卓次は種目別のつり輪でも金メダルを獲得する》
「メンバー6人中、4人が五輪連続出場の布陣。最年少で代表入りした私はとにかく先輩方の邪魔にならないようにと考えていた。事前合宿では、ライバルだったソビエト(旧ソ連)の話ばかり。採点競技だから相手と五分五分の力ではダメ、7対3の圧倒的な差を見せないと勝てないよ、と教え込まれていた。団体で金を取った瞬間は安堵(あんど)だったか、歓喜だったか覚えていない。それぐらい興奮していたのかもしれない」
《日本の演技は完成度が高く、美しさを追求する。支えていたのは豊富な練習量だった》
「五輪前、同じ体育館を使っていた東洋の魔女(バレーボール女子日本代表)が、大声出しながら夜までガンガンやっていた。あんなにやって体が持つのかというくらい。それもあって私は4時間程度の規定練習の後、『さぁこれからだ』という気持ちで自主練に励んだ。特につり輪の十字懸垂。まっすぐで減点のない姿勢を作ることに人一倍、時間をかけた。動画撮影のない時代なので、一回一回インスタントカメラでポーズを写して姿勢を確認。大会当日はつり輪をグッと握った瞬間に『いける』と感じた」
《東京五輪で日本人初の個人総合優勝に輝いた遠藤幸雄氏(2009年逝去)を生涯の師と仰ぐ》
「高校卒業まで自己流で体操に取り組んでいた私にとって、初めての指導者が、日大で出会った選手兼任コーチの遠藤先生だった。『われわれは仲間なんだ』という意識で引っ張ってくれた。教えてくれたのは遊び心。自己管理を徹底する体操界だからこそ、もっと視野の広い心を持てと。夜は飲み歩き、体操の話や勝負の話をたくさんしました」
《東京に再び五輪がやってくる》
「一生に一度の舞台。誰かのために頑張るのではなく、自分の名誉のためにやってきた時間に悔いのないようにしてほしい。後輩たちには、代表メンバーでスクラムを組み、自信を持って世界の強豪を迎え入れてほしい。『さぁ、いらっしゃい。私たちは準備をして待っていますよ』というぐらいにね」(聞き手・西沢綾里)
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【プロフィル】早田卓次(はやた・たくじ) 1940年10月10日生まれ、和歌山県田辺市出身、78歳。田辺高-日大。東京、68年メキシコの両五輪代表。現在は日本オリンピアンズ協会理事長を務める。