明治維新後の近代日本を牽引(けんいん)し、茶の湯を楽しんだ政財界の巨人たちを「近代数寄者」と呼ぶ。その1人だったのが、三井財閥の重鎮で、旧三井物産の初代社長を務めた益田孝(1848~1938年)。佐渡出身で、幕臣として幕末に渡欧するなど西洋文明の空気を早くから吸いながら、日本美術の保護にも力を尽くした人物だ。鈍翁と称し、茶人としても有名だった。
そのゆかりの品が山形市に寄贈されたことで始まったのが鈍翁茶会だ。22日は同市東原町の清風荘の茶室「宝紅庵」で35回目の茶会が開かれ、市内外から約400人の茶人が集まった。
第1回鈍翁茶会が開かれたのは昭和60年6月。鈍翁から蹲踞(つくばい)(手を清める手水鉢)や灯籠などを譲られた同市出身の安藤時子さんが、市に贈ったことがきっかけだ。県内の茶道流派18団体が集まって「山形茶道宝紅会」を結成し、市と協力して開催されることになった。毎年6月のさくらんぼの時期に、大勢の客を招いて開かれる大寄せの茶会として全国に知られており、今回も関東や関西から参加者があった。
今年は市制施行130周年にあたり、市の記念事業として開催。同茶会実行委員会会長の佐藤孝弘市長が、鈍翁を描いた掛け軸に、この日最初に入れた茶を供える「供茶(くちゃ)式」から始まった。日本の茶人に好まれた井戸茶碗(いどぢゃわん)や、千利休が自らヘラを入れたという利休瀬戸(りきゅうせと)の茶入れなどの珍しい茶器も並べられた。
鈍翁茶会実行委員会の志賀宗秀事務局長(79)は「稀少な茶器も手にとって身近に見ることができる貴重な機会です」と話している。23日も開催する。