夢がかなった「虎番」拝命。担当1年目の昭和55年、阪神の監督は2シーズン目を迎えたドン・ブレイザー。データや基本を重視した米国仕込みの「シンキング・ベースボール(考える野球)」を日本球界に導入した監督である。
チーム最大の話題は前年(54年)のドラフト会議で、6球団競合の末に獲得した東京六大学屈指のスラッガー岡田彰布(早大)。キャンプやオープン戦から起用法で大もめにもめたが、それも4月に起こった主砲・掛布雅之の故障(左膝半月板損傷)で起用せざるを得なくなり、「岡田問題」も収まっていた。
ゴールデンウイークが終わった時点で9勝11敗1分けの4位。そのあとの広島、大洋戦に4連勝。さぁ、5月反攻!と盛り上がったそのとき「騒動」は起こったのである。
5月15日―正午過ぎ、編集局に「ブレイザー監督退団」の情報が飛び込んできた。突然の〝お家騒動〟勃発に編集局は騒然。大阪・梅田の球団事務所には報道陣が殺到した。甲子園球場で一報を受けた筆者は何がどうなっているのか訳が分からなかった。まさに寝耳に水。
「龍一のまた早とちりじゃないのか」と笑って球場にやってきた小林繁も、ロッカールームから出てくると「本当だった。チームも自分もいい状態になってきたところだったから非常に残念」と声を落とした。
前日の14日、阪神は甲子園球場で大洋に7―3で快勝した。大洋の先発・斎藤明雄をベテラン藤田平が4打点と打ち込み、投げては先発の山本和行が完投で4勝目。4連勝のブレイザー監督も「ベリー・グーだ。まったくボクの仕事はないね」と超ご機嫌。退団の「た」の字も感じられなかった。
ん?〈ボクの仕事はない〉ってまさかこれが…。余談だが阪神の〝お家騒動〟の始まりは、球団創立の11年、大阪タイガースの初代・森茂雄監督の「解任劇」といわれている。就任1年目の7月に解任された。その理由は当時、阪神電鉄のライバルだった「阪急軍」に練習試合で大敗したから―という。辞めるとき森はこう言った。
「タイガースの監督の座はあす、どうなるか分からない。たとえ優勝しても…。球団最高責任者が〝総監督〟でいるんだから」。歴史的〝名言〟である。(敬称略)