香港で続く「抗議の歴史」 選挙で反映できぬ民意を示すデモ

 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案は、デモで示された民意を香港政府も無視できなくなり一時断念を余儀なくされた。限定的な選挙制度が取られている香港では、選挙では反映しにくい民意を表明する手段としてデモの文化が息づいている。

 英BBC放送(電子版)は「香港には豊かな抗議の歴史がある」と指摘する。1966年には香港島と九竜半島を結ぶ「スターフェリー」の値上げをめぐり激しい抗議が起きるなど、英国統治下でも度々デモが行われてきた。89年5月には中国の民主化運動を支援するため150万人規模のデモも開かれている。

 英国から中国への返還後の2003年には、国家分裂行為などを禁じる「国家安全条例」案に反対する50万人規模のデモが発生。最終的に香港政府は白紙撤回に追い込まれた。

 記憶に新しいのは、香港政府トップの行政長官の民主的な選挙を求めた14年の「雨傘運動」だ。学生らが79日間にわたって街頭を占拠したが、政府側から譲歩を引き出すことができず、当局により強制排除されて終わった。

 香港は1997年の中国返還後も「一国二制度」で高度な自治が50年間認められているものの、民意がそのまま政治に反映されているとは言い難い。行政長官は、政財界などの代表で構成する選挙委員会による間接選挙で選ばれ、立法会(議会)の議員選挙では親中派に有利とされる制度が一部採用されている。

 そうした環境下で、民意を直接示す方法とされるのがデモだ。BBCは「香港人は一定の自治は持っているが、投票における自由は少ない。抗議には自分たちの意見を聞いてもらう数少ない手段という意味がある」と指摘する。(三塚聖平)

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