「不治の病」は、いつ告知されるべきか? 早期診断技術の進化が生んだ倫理的ジレンマ

CHRISTOPHER FURLONG/GETTY IMAGES
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 いまは血液検査で、「16年後にアルツハイマー病を発症する可能性」を推定できるようになった。こうした医学の進化とともに、患者に告知を行う適切な時期はいつなのかという、新たな倫理的ジレンマが生じている。

TEXT BY SANJANA VARGHESE

TRANSLATION BY TOMOYUKI MATOBA/GALILEO

WIRED(UK)

ギリシャ神話のなかで、トロイアの王女カサンドラが授かった予知能力は呪いだった。彼女が予言したことは、すべて現実になったのだ。その問題は、誰も聞く耳をもたなかったことにある。

高精度の遺伝子検査が行われるいま、現代科学はこの古代神話に危険なほど接近しつつある。もしあなたが不治の病を患っているとしたら、いつその事実を知りたいだろうか? 

未来のネガティヴなできごとについて知るという選択肢があるとき、9割の人々は知らないままでいることを選ぶ--。そんな調査結果が、スペインのグラナダ大学とドイツのマックス・プランク研究所の共同研究チームにより明らかになった。研究チームはこの現象を「カサンドラの後悔」と呼ぶ。

アルツハイマーを巡る「カサンドラの後悔」

カサンドラの後悔は、まもなく身近で悩ましい現象になるかもしれない。2019年2月に学術誌『Nature Medicine』に掲載された、アルツハイマー病の早期診断の可能性をひらく論文を見てみよう。国際研究チームは、ある種の血液たんぱく質の有無により、各個人が16年後にアルツハイマー病を発症する可能性を推定できると報告している。

しかし、こうした画期的発見は新たな火種になるかもしれない。人々は、いまだ治療法のない神経変性疾患を発症するリスクを知りたいと思うだろうか?

ケンブリッジ大学で医学と倫理に関する研究を行う社会学者のリチャード・ミルンは、「発症予測に関連する疑問、なかでも知る権利と知らずにいる権利については、すでに遺伝子検査に関する議論のなかで浮上しています」と指摘する。

「倫理的観点からの最大の懸念は、多くの人々がこうした情報を知りたいと思っており、将来の計画を立てる上で有用だとみなしている反面、情報がその人にとって害にもなりうることです。というのも、予防する手立てのない病気について高リスクだと伝える事態が想定されますし、こうした予測そのものが現段階では不確実なのです」

研究者にはメリットがあるが…

神経変性疾患の場合、症状が現れたときには手遅れであることが多く、これが大問題として立ちはだかる。研究者たちは早期介入治療を開発すべく、ますます発症前研究、すなわち病気リスクのある患者の発見とスクリーニングに力を入れるようになってきた。しかし現在のところ、早期診断の臨床試験を実施するうえで、倫理ガイドラインや告知タイミングの制限は設けられていない。

医療遺伝学の教授で、今回の研究には関わっていないロバート・ウィリアムソンは、「研究者の視点から言えば、各個人のリスク状況を知ることには大きなメリットがあります。現在、多くの臨床試験が行われていますが、低リスクの人々については発症を遅らせる効果を調べる臨床試験に参加してもらったとしても、ほとんど意味がありません」と言う。「そのような臨床試験は、高リスクの人々を対象にするのがベストなのです」

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