倒れざる者~近畿大学創設者 世耕弘一伝・第3部

(9)大学スポーツにかけた教育者としての情熱

 また、弘一はことのほか硬式野球部を気にかけ、部長を務めた。奈良県生駒市に構えた関西での住まい近くに適地を取得し、和歌山県湯浅町の附属農場の土地造成で活躍したブルドーザーを運び込んで、グラウンドを整備した。近くに寮も用意して弘一はよく見学に行った。試合中はベンチに入って監督に指示したといわれる。

 近大建学史料室発行の弘一の伝記「炎の人生」(田島一郎著)によると、弘一は、観戦できないときには監督にアドバイスをしたためた手紙を送った。野球は素人だったが、若いころから修羅場をくぐってきた弘一はさすがに核心をついた指摘をした。

 〈盗塁を行ったとみるか逃げたとみるか、その見方ひとつが封殺できるかどうかを分ける〉

 〈野球は剣道に通じる。バッターは居合い抜きの要領を心得、ピッチャーより早く打席に入るべし〉(松岡達郎)=敬称略

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