彩人国記

前回の東京五輪聖火ランナー・柴田宗宏さん(72) 重いトーチ、人だかり…緊張

 来夏に東京で2度目となる五輪が開かれ、「聖火」が県内40市町を駆け抜ける。東京五輪に向けて機運が高まる中、最初の東京五輪(昭和39年)で県立浦和高校の代表として聖火ランナーを務めた柴田宗宏さんに、当時の熱気や再び県内をめぐる聖火への思いを聞いた。

 --ランナーを務めたきっかけは

 「当時、私は高校3年生で、サッカー部の主将でしたが、ある日、顧問の先生から『柴田、お前が聖火ランナーに選ばれたから』と伝えられました。光栄と思う半面、冬にサッカーの大会を控えていたので複雑な心境でした」

 --選ばれた理由は

 「実は高校の体育祭の往復10キロマラソンで、3年連続で優勝していたんです。そういう実績が評価されたんじゃないかな」

 --聖火リレーに向けた練習は

 「走ること自体はサッカーで慣れていたんですが、特に印象的だったのは、走る姿勢をきれいに保つよう指導されたことです。聖火のトーチを掲げる腕の角度は90度に決まっていて、この角度を維持しながら走るのは難しかった」

 --掲げるトーチは重かったですか

 「重かった。1・5キロぐらいあったかな…。その後、トーチとユニホームを持ち帰ることができて、今でも大事に保管しています」

 --聖火ランナーとしてどこを走ったのでしょうか

 「今のJR与野駅近くから北浦和駅近くまで約1・5キロを走りました。もちろん緊張していました。思い返すと、3つの心配がありました。まず時間通りに到着できるか、トーチの火を消さずに走ることができるか、そして次の走者に火をうまく渡せるか。結果的にどれも問題なく終えることができました」

 --当時の応援は

 「沿道を埋め尽くさんばかりの人だかりと日の丸でした。あの光景は今でも目に焼き付いています」

 --聖火リレーで得られたものは

 「ランナーとして走り抜いた経験が、その後の人生で困難と向き合う際に役立ちました。でも…一番は人生の伴侶を得たことかな。当時、沿道で応援してくれた1人が付き合っていた浦和一女(県立浦和第一女子高校)の生徒で、それが今の妻なんです。実は来年、私たち夫婦は金婚式を迎えます。つくづく五輪に縁があるなと思います」

 --来年の東京五輪への期待は

 「もともと私は身体が弱く、まさか2度目の東京五輪を見られるとは思いませんでした。前回は『東洋の魔女』といわれたバレーボールや体操が強かったですが、今回は日本勢が優勝しそうな競技がいくらでもあります。特にリレーなんか楽しみで仕方ない」

 --埼玉に再び聖火が来る

 「忘れかけていた聖火リレーの意義を再発見できるんじゃないかと期待しつつ、今度は沿道で聖火ランナーの雄姿を見たい」 (竹之内秀介)

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【プロフィル】しばた・むねひろ

 昭和39年の東京五輪で聖火ランナーを務める。大学卒業後、浦和高校サッカー部監督などを歴任。現在はさいたま市で活動するサッカークラブの運営に携わる。山口県萩市出身。さいたま市中央区在住。72歳。

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