「なつぞら」超えるか 次期朝ドラ主人公の波瀾万丈

 活動には多額の費用が必要だったが、そのとき支えてくれたのは自身の作品のファンの人たちだった。展覧会を開くたびに作品を購入し、資金面で応援してくれたほか、人脈を生かして関係機関に働きかけてくれた。活動のかいあって翌3年には「骨髄移植推進財団」が設立され、日本初の骨髄バンクが誕生した。

 賢一さんはそれを見届けるようにして4年に31歳で亡くなったが、骨髄バンクはその後多くの人たちの命を救った。

 「窯場跡で破片に出合わなければ、陶芸家としての自分はなかった。すでに陶芸家として成功していたから、骨髄バンクの活動が実を結んだ。縁に恵まれていた」と神山さんは言う。

 信楽に移り住んだ際に植え、立派な枝ぶりになったカエデの脇で、今は細々と仕事を続けている。ライフスタイルの変化などで販売額の落ち込みが続く信楽焼だが、「火色は信楽にしかない。若い人にも誇りを持って受け継いでいってほしい」と次代に思いを託す。