「学びたい者に学ばせたい」
教育者として、こう言い続けた近畿大学創設者の世耕弘一の矜恃を象徴するのが「連合国軍総司令部(GHQ)通達無視事件」であることは連載1回目で紹介したが、これは終戦翌年の昭和21年の入学試験シーズンを控えるなか、GHQから大学に出された通達がきっかけとなった。
〈軍関係ノ学校在籍者ガ大学ヲ受験シタ場合、合格者ハ1割ニ制限スベシ〉
旧日本軍の関係者が集まり、徒党を組んで何かを起こされることを警戒しての通達とみられるが、陸、海軍の関係学校などの出身者はいくら成績が優秀でも合格者の1割以下に抑えることを求めたのだ。
陸軍士官学校時代に終戦を迎えた近大名誉教授の松岡祥浩(よしひろ)は当時、奈良県の実家で大阪専門学校に併設された大阪理工科大学の受験を準備していた。ところが21年1月ごろ、新聞でGHQの通達の記事を見て敗戦国の悲哀をしみじみと味わったのを覚えている。日本が敗戦の憂き目を見たのも技術力の低さが一因だと考え、理系の大学で学んで日本を技術立国として一日も早く復興させるために役立ちたいと思っていた。
「とにかく1割制限でもなんとかがんばろう」
松岡は気持ちを切り替えて受験に挑み、見事に合格を果たした。しかし、驚いたことに受験した工業経営科の合格者36人のうち4割以上の16人が旧日本軍関係の学校出身者だった。通達通りなら3~4人しか合格できなかったことになる。