天安門事件30年 中国当局が「追悼」封じ込め 透析患者を山間地で軟禁も

 【北京=西見由章】中国当局が民主化運動を武力弾圧した1989年の天安門事件から30年を迎えた4日、北京の天安門広場周辺では武装警察や警察犬が出動し厳戒態勢が敷かれた。当局の厳しい規制によって現場での追悼や抗議活動はなく、広場の入り口にある検査場では海外メディアの記者らが足止めされ、追い返されていた。

 中国当局の取材規制に対し、北京在住の特派員らで組織する「駐華外国記者協会」(FCCC)は4日、海外メディアが天安門広場で取材するのを根拠なく禁じたとする声明を出した。

 天安門事件を知る民主活動家らは4日を前に、当局によって北京から遠ざけられた。事件当時、建設労働者として現場に居合わせ、広場近くで戒厳部隊から銃弾2発を浴びて左足を切断した斉志勇さん(63)とも5月下旬に連絡が取れなくなった。

 記者(西見)が、腎不全の斉さんが人工透析を週3回行う病院を訪ねると、透析を終えた斉さんが疲れ切った様子で出てきた。5月20日から「家族で山間地に軟禁され」、透析時だけ警察車両で病院に連れて来られるという。事件後、当局の脅迫や暴行を受けながら犠牲者の名誉回復を求めてきた斉さんは「この30年、多くの苦難があった。でも絶対に闘いはやめない」とつぶやき、警察車両に乗せられていった。

 民主化運動を主導した学生21人の一人として指名手配され、3年間服役した馬少方さん(54)も4月、実家のある江蘇省揚州に戻るよう警察に求められ、今も監視状態が続く。電話取材に「公民の権利や自由を認めない社会では常に人々が権利を求めるデモが起こりうる」と語った。

 民主活動家の胡佳さんは4月3日に軟禁が始まり、5月28日からは河北省への「旅行」を強制された。遺族グループ「天安門の母」創設者の丁(てい)子(し)霖(りん)さんも北京を離れるよう求められた。

 中国は事件の正当化を図る。共産党系の環球時報は4日付で「30年前の中国社会は痛い予防接種をしたようなものだ。重大な政治的過ちを出現させない免疫力がついた」と主張した。

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