書評

『文化社会学界隈』井上俊著 知的興奮もたらす毒も

『文化社会学界隈』井上俊著
『文化社会学界隈』井上俊著

 最近インターネットもマスメディアも説教くさい。知的な話に興味はあるが、論者が自分の理想を声高に語る社会批判には食傷気味-。そんな思いを抱える読者は本書を手にとってみるべきだろう。そこには安っぽい社会批判をはるかに超える知的興奮が待ち受けているはずだ。

 本書は半世紀以上にわたって社会学を牽引(けんいん)し続けてきた著者のいわば入門編とでも呼べる論集である。それゆえ小説、映画、スポーツ、武道など議論の対象は一見、バラバラに見える。しかし、注意深く読めば、対象を見つめる著者の目が常にある一点に注がれていることに気付く。おそらく、その視線の先にあるのは、人間の非合理性である。

 他人から誠実だと思われるために誠実さを「装わ」ねばならない現代社会の非合理。実際には近代以降に発展した武道を伝統文化としてのみ想起する日本人の非合理。そして、非合理的なコミュニケーションとしての暴力…。

 こうした人間の非合理的な営みに言及しながら、著者は決してそれらを否定しない。それどころか、むしろそうした非合理性こそが文化や社会を成り立たせていることを鮮やかに解き明かしていく。

 そこには、「あるべき社会」を押し付ける類の説教くささは微塵(みじん)も感じられない。あるがままの社会を丸ごと肯定することから思考をスタートさせているからである。

 人の営みを洞察する著者のまなざしはあくまで優しい。しかし、本書を単なる現実追認的な著作だと考えるのは大きな間違いである。本書のような議論は我々(われわれ)が合理的だと信じている社会観そのものを揺さぶるから、本当は月並みな社会批判などよりはるかに強烈な毒を含んでいる。そしてこの毒こそが知的興奮をもたらす社会学の神髄なのだ。

 著者は文化社会学のメインストリートではなく、「界隈(かいわい)」を気ままに遊歩してきたにすぎないと自認する。しかし、果たして「界隈」が先にあったのか、それとも著者がいた場所に「界隈」ができたのか。いずれにせよ、文化社会学界隈のにぎわいの中心にはいつも井上俊がいるのである。(世界思想社・2700円+税)

 評・長崎励朗(桃山学院大学准教授)

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