国際情勢分析

記録されなかった吉田・トルーマン会談から68年 ここまで発展した日米関係

【国際情勢分析】記録されなかった吉田・トルーマン会談から68年 ここまで発展した日米関係
【国際情勢分析】記録されなかった吉田・トルーマン会談から68年 ここまで発展した日米関係
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令和初の国賓としてトランプ米大統領が5月25~28日に訪日した。事前に「歴史的」と歓迎の意を示した安倍晋三首相の言葉を受けて、産経新聞では、先の大戦での敗戦を踏まえて日本が強化してきた対米関係の歴史を振り返る記事を掲載することに。担当した記者が頭を悩ますことになったのは、当初、調べればすぐに分かるだろうと思った「初の日米首脳会談はいつ?」という疑問への答えだった。

問題は、初の首脳会談と見込んだ1951年9月4~8日のサンフランシスコ講和会議の際、当時の吉田茂首相が、トルーマン大統領に会うことすらできなかった-とする週刊誌の記事が出てきたことだ。

このとき会っていなければ、54年の吉田首相とアイゼンハワー大統領が初の首脳会談となる。

幻の首脳会談

しかし、日本が国際社会に復帰するための講和条約の草案を用意し、世界52カ国の代表団を集めた主宰国のトルーマン大統領が、日本全権の吉田首相に会わないということがあるだろうか?

2人が会ったことを示す記録はないかと、政策研究大学院大学の田中明彦学長らが公開するデータベース『世界と日本』の「日米首脳会談関連資料集」や、大統領図書館のホームページを探したが、決定的な資料が見つからない。

締め切りが迫る中、音をあげて、専門家に電話で尋ねた。50年代の日米関係史を研究する実証史家の間では、講話会議の際に2人が会ったことは当時の関係者の証言などから間違いないが、よほど内容に乏しかったのか、2人が会ったことを示す決定的な記録はない-ということだった。その上で、「2人が会ったのは講和条約の調印前。その時点で日本の主権は回復しておらず、『首脳会談』には当たらない」と忠告してくださった。

幻の首脳会談を、記事では「交流」と表現することになった。戦争に負け、独立国でなくなることの悲哀を感じた。

米国精神に心打たれた日本

ただ、悲哀より喜びに、サンフランシスコ講和会議のころの日本は満ちていた。

当時の産経新聞を読むと「終戦以来六年間の最大の待望事であった講和会議は、いよいよ四日、サンフランシスコのオペラ・ハウスに五十二か国代表の出席を得て開会されることになった」(4日付社説)と歓迎し、開会前夜の現地の様子を「行き会う人も笑顔」「ト大統領(原文ママ)到着に沸き立つ」「神経とがらす全権団」(5日付3面)などと紹介している。

トルーマン大統領の人柄も取材記者を魅了したようだ。川口松太郎特派員は、飛行機を降りた大統領が気さくにカメラマンの要望に応じてポーズを取り、オープンカーから穏やかに日本の記者に微笑みかける「米国精神」(アメリカン・スピリット)に心を打たれたとして「大統領の笑顔を日本の全国国民に見せたいと思った」(同1面)と伝えた。