文芸時評

6月号 早稲田大学教授・石原千秋 村上春樹の静かな応答

早稲田大学教授 石原千秋さん
早稲田大学教授 石原千秋さん

大学院の授業で学生たちに「先週、課題を出さなかったっけ?」と聞いたら、日本の学生はクビを縦に振ったが、イタリアから来た2人の留学生は首を横に振った。答えは「課題を出さなかった」である。日本では質問した相手に対して応答する。答えが「出さなかった」でも、否定形の質問に同意する。アルファベットの国では質問の内容に応答する。答えが「出さなかった」なら、「出さなかった」事実を示す。それを再確認して、みなで笑った。

いま大学で十数年ぶりに『ダンス・ダンス・ダンス』以降の村上春樹の文学を講義している。以前は『ノルウェイの森』までを、テクスト論者として村上春樹を意識せずに論じた。しかし、いまは僕の関心のあり方が変わったのか、作家、村上春樹を意識しないで論じることはできなくなっている。それで、十数年前に作った講義メモがあまり役に立たなくなった。たとえば、村上春樹自身が語っているように、『ノルウェイの森』の大ヒットは予想外の出来事だったのだろう。『ダンス・ダンス・ダンス』は『ノルウェイの森』の呪縛から逃れるために書かれた小説で、単行本の「あとがき」には、主人公の「僕」は初期三部作の「僕」と同一人物だとあるが、文庫にするときにこの「あとがき」を削除した。なぜそれができたのか。それは『国境の南、太陽の西』で、村上文学が決定的に変質したからだろう。こういう講義になっているわけだ。

『ねじまき鳥クロニクル』を読み終わって、面白いことに気づいた。村上文学ファンなら常識かもしれない。たとえば、こうなっている。「でもとにかく、猫のワタヤ・ノボルくんはまだ家に帰ってこないのね?」と彼女は言った。僕は首を振った。「君はうちの猫を見なかった、あれから?」と。質問を肯定するときには「うなずいた」と書かれているから、高校生時代からアメリカ文学を英語で読んでいた村上春樹は、どうやら英語(!)で小説を書いているようなのだ。そんなわけで、村上文学を楽しんで読んでいる。

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