大関豪栄道を寄り切り、土俵下で賜杯を争う横綱鶴竜の敗戦を見届けた。「すごいプレッシャーがあったけど、平常心でとれてよかった」。武骨なこの人らしく、初優勝にも淡々と言葉を継いだ。富山出身では横綱太刀山以来103年ぶりの優勝。令和最初の本場所で地元に歓喜を届けた。
187センチ、177キロの恵まれた体に似合わず、「小さいことを気にする」という。自分に関する記事をインターネットで頻繁にチェックする。端正な顔立ちで国技館の帰路は大勢のファンに囲まれる。サインを欠かさない理由は「愛想の良い関取といわれたいから」と笑う。
小学4年生で相撲を始めた。目立った成績を残せなかった中学では左肘を脱臼し、相撲をやめようと思った。熱心に誘ってくれた富山商高相撲部の浦山英樹監督(当時)の下で素質が開花した。浦山監督に教わった右四つは、いまも自分の武器になっている。しこ名の下の名前は、尊敬する恩師からもらったものだ。
平成29年1月、浦山監督はがんで亡くなった。葬式の日。泣くのをこらえていると、監督の奥さんから手紙を手渡された。生前、監督が書いたものだった。
「お前はよく相撲を頑張っている。俺の誇りだ。横綱になれるのは一握り。お前には無限の可能性がある。富山のスーパースターになりなさい」
震えた字だった。高校時代は一度も褒められたことがなかった。手紙は自身のかばんに大切にしまってある。お守りが悲願へ導いてくれたのかもしれない。「おかげさまで優勝できました」。天上の恩師へ思いを込めた。(浜田慎太郎)