天皇陛下に対する安倍晋三首相の内奏(ないそう)の様子が公開されたことに、野党の一部から「天皇の政治利用」ではないかと批判の声が出ている。
いつもは「開かれた皇室」を唱え、何事も公開を求める野党が、内奏の写真と動画の公表を批判することは奇妙極まる。陛下のご公務の様子を見ることができた国民は、むしろ歓迎しているのではないだろうか。的外れな批判は、天皇と国民の間を遠ざけることになりかねない。
内奏は14日に皇居・宮殿「鳳凰の間」で行われ、宮内庁が写真と動画を公表した。陛下が即位されてから、首相による内奏は今回が初めてで、中身は慣例により伏せられた。
憲法は立憲君主制をとる。君主がいれば臣がいるのは当たり前で、憲法に書いてある通り、首相は「内閣総理大臣」で閣僚は「大臣」だ。国民主権や民主主義となんら矛盾しない。
首相や閣僚が内奏によって国内外の情勢や国政の重要課題を、陛下に報告申し上げるのは、日本の国柄、政体からいっても極めて大切なことだ。「知ろしめす」ことが、君主としての天皇のありようだからである。
平成25年12月に、内奏の写真が初めて公開されたが問題化していない。ところが今回、国民民主党の玉木雄一郎代表は記者会見で、公開が首相官邸の指示だったのか質(ただ)す考えを示し、「取り方によっては政治利用になる。大きな政治的意義を含んでくるので、本来慎重に扱うべきだ」と述べた。共産党の穀田恵二国対委員長は会見で、政治利用に当たるとして批判した。
国民民主に呼ばれた宮内庁の担当者は、陛下の国事行為を国民に広く伝えるための宮内庁の広報活動だったと説明し、官邸の指示を否定した。その通りだろう。もっとも、官邸の指示があろうがなかろうが、政治利用に当たるはずもない。
党派的立場を持たない、国民統合の象徴である陛下が内奏の場で、首相らに、命令でなく質問などの形で考えや助言を示されることも当然だ。権力を振るわれない立憲君主の役割だからである。皇位の安定継承の確保という重要事が控えている。陛下と首相は内奏などの機会をなるべく多く重ね、「君臣水魚の交わり」をしてほしい。