話の肖像画

盛岡大付高野球部前監督・沢田真一(54)(1)「負け方、教えます」

当時のエースは球速が最速143キロで、プロ野球の西武にドラフトで3位指名された小石沢浄孝(きよたか)投手。マスコミの方が「小石沢は甲子園で勝てる投手だよ」とかいろいろ言ってくれるんですよ。普通なら割り引いて聞くのでしょうが、私は意外と人の話は聞く方で「そうかな」と変な自信を持ったりしたわけです。優勝候補にも挙げられ、本当に優勝できるんじゃないかと思っていましたから。でも球場の大きさ、観客数、報道陣と全てがスケールアップされた甲子園で必要以上に緊張して、選手も監督も舞い上がり、周りが見えなくなっていたんです。選手の好不調に気付けず、力を引き出せるような声掛けもできず、相手の研究すらもしませんでした。勝つための準備ができなくなっていたんですね。(聞き手 石田征広)

【プロフィル】沢田真一

さわだ・しんいち 昭和40年、岩手県釜石市出身。小学3年生から野球を始め、県立釜石北高(現・県立釜石高)、東北福祉大で外野手。大学4年時には選手会長を務めた。卒業後に青森県立三沢高のコーチ、青森山田高の野球部長を務め、平成3年に盛岡大学付属高に赴任。野球部監督となり、平成7年夏の甲子園に初出場。20年夏の甲子園を最後にユニホームを脱ぐまで、監督として18年間で夏6度、春1度、同校を甲子園に導いた。退任後は29年春まで総監督として野球部を支えた。

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