朝晴れエッセー

夫の背広・5月6日

新しい元号が「令和」に決まった翌日、夫の背広を捨てた。洋服ダンス一棹分の背広を。

夫が亡くなって10年あまり。やっと処分することができた。

184センチの体格にグレイヘア。

「掃除のおばちゃんに、また外人さんと間違われちゃったよ」

という夫は、姿勢がよく、トラッドの背広がとても似合った。仕事帰りに待ち合わせると、向こうから、背広姿で歩いてくる夫に、ちょっぴり胸がときめいた。

末期がんで緩和ケアに入ってからも、夫は最期まで、仕事復帰を望んだ。でも、

「夏の背広、クリーニングに出そうか」

と聞くと、

「まだ、いい」

と、ベッド上で力なく答えたのを覚えている。

内ポケットに名字が刺しゅうされた背広を10着ほど。一度だけ、顔をうずめて、懐かしい夫のにおいを嗅(か)いだ。たたんで、ひもで縛り、何度かに分けて、マンションの資源品置き場まで運ぶ。夫の一生分の働きを支えた背広は、ずっしりと重たかった。

「ごめんね、パパの背広捨てちゃった」

戻ってきて、わたしが告げると、

「オッケー。大丈夫」

遺影の中の夫が、ピースサインを出して、笑っていた。

尾引 光子 62 訪問ヘルパー 千葉県柏市