主張

令和の防災 命守る決意と実行力を 平成の記憶と教訓を生かせ

 平成の30年を振り返るとき、自然災害の記憶と深い悲しみを噛(か)みしめないわけにはいかない。

 東日本大震災から8年、阪神大震災からは24年が過ぎた。2度の大震災のほかにも、地震、豪雨、火山噴火などによる大規模災害に列島各地が襲われ、かけがえのない多くの命をなくした。

 元号が平成から令和に変わっても、日本列島の地震活動や気象災害の多発、激甚化の傾向に区切りが打たれるわけではない。

 「大災害の時代」を生き抜くために、改めて平成の災害の記憶を心に刻みたい。その教訓をもとに命を守る備えと行動を徹底し、次世代に継承していくことが、生き残った者の責務である。

 ≪凶暴化する災害に備え≫

 平成7年の阪神大震災を境に、日本列島は地震の活動期に入ったとされる。

 直近の南海トラフ地震にあたる昭和の東南海、南海地震(昭和19、21年)からは70年余が経過した。プレート境界で起こる次の巨大地震の切迫度とともに、陸域で起こる直下型地震のリスクも高まっている。

 今後30年以内にマグニチュード(M)8~9級の南海トラフ地震が発生する確率は70~80%とされる。首都直下地震をはじめとする直下型地震はいつ、どこで起きてもおかしくない。

 一方、地球温暖化がもたらす気象災害の激甚化は、従来の概念や常識が通用しない領域に入ったとみられる。

 昨年7月の西日本豪雨では、1時間雨量が100ミリにも達する猛烈な雨が各地で、長時間にわたって降り続き、土砂災害や河川氾濫が同時多発的に発生した。積乱雲による激しい雨は1時間ほどで収まるという常識は、捨てなければならない。

 「これまでに経験したことのない」ような極端な気候が頻繁に起こり、昨年は夏の暑さまでが「災害級」になった。

 地球温暖化に急ブレーキはかけられない。令和の防災は気象災害のさらなる激甚化を前提とし、地震と台風や豪雨が同時、またはたて続けに襲ってくる複合災害にも備えなければならない。

 ≪「思い込み」を捨てよう≫

 阪神大震災が起こるまで「関西では大地震は起きない」という風説が広く浸透していた。

 当時、国の地震防災は東海地震対策に重点が置かれ、直下型に対する意識は低かった。

 東日本大震災まで、国民の多くが「リアス式海岸で津波が巨大化する」という知識にとらわれていた。知識は間違いではないが、大津波はリアス式ではない沿岸も襲った。

 昨年の西日本豪雨では「災害が少ない」といわれた岡山県が甚大な被害に遭った。

 気象庁は記録的豪雨を事前に予想し、最大限の警戒を呼びかけたが、住民の避難行動には十分に結びつかなかった。「自分に被害は及ばない」と思い込もうとする正常性バイアス(正常化の偏見)と呼ばれる心理が働くことが、大きな要因だろう。

 根拠のない思い込みや、特定の知識や情報にとらわれた防災意識は、災害から命を守るうえで極めて深刻な障害になる。だからこそ、平常時に思い込みと偏見を払拭し、命を守ることに徹することが大切なのだ。

 たとえば、西日本豪雨で大きな被害を免れた地域でも「あの豪雨でも、ここは大丈夫だった」と思い込むのは危険だ。

 自然災害は条件が少し異なるだけで、被害の規模や地域が大きく変わる可能性がある。自分が住む地域の災害リスクを、正しく認識する必要がある。

 今世紀半ばまでに発生する可能性が高いとされる南海トラフ地震は、M8~9級の巨大地震に対して、人類が初めて備えを尽くして迎えるケースになるだろう。

 気象災害の激甚化は世界共通の課題である。

 災害多発国である日本は真の防災先進国として、多くの人命が災害で失われることのない社会を確立しなければならない。

 平成の災害を教訓に日本の防災は大きく変わった。東海地震の予知体制は廃止され、観測網の充実と情報発信の改善が図られた。

 平成よりも過酷な災害に襲われたとしても、命を守りきる強い決意と実行力を、一人一人が持たなければならない。

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