天皇の外国ご訪問は、相手国の招待に基づき政府が決める。天皇陛下は即位後、平成3年のタイ、マレーシア、インドネシアの3カ国歴訪から、29年のベトナム、タイ訪問まで、20回にわたって計36カ国に足を運ばれた。昭和天皇の外国訪問は戦後2回で、欧州と米国の計8カ国だった。国際化が進展した平成は陛下が皇后さまと海外に赴き、国際親善に尽くされた時代でもあった。
「国と国との親善関係の増進は極めて重要なことです。それには、人と人との交流が果たす役割も大きなものがあると思います」
即位まもない元年8月、陛下は記者会見で国際親善の意義を問われ「私の立場から、外国の人々との理解と親善の増進に役立つよう努めていきたい」と決意を語られた。
即位後初のご訪問は、昭和天皇が訪れなかった東南アジアの3カ国。翌4年には歴代の天皇で初めて中国を訪問された。天安門事件以降、中国が国際的に孤立する中でのご訪問に、国内では賛否両論が渦巻いた。だが、陛下は訪中を国際親善と位置づけ、学者や文化人らとも交流を深められた。
欧州では先の大戦にまつわる反日感情が根強い国もあった。10年の英国では無名戦士の墓に、12年のオランダでは戦没者記念碑にご供花。それぞれの国で、市民と親しく交流される姿は、現地で好意的に受け止められた。
海外でも福祉施設への訪問を大切にされた。21年のカナダご訪問時はトロントの小児病院へ。皇后さまが子供たちのために、日本の子守歌「ゆりかごの歌」を歌われる場面もあった。
また、陛下のご意向もあって実現したのが海外での慰霊の旅だった。激戦地だった米国のサイパン、パラオ、公式訪問先のフィリピンで、鎮魂の祈りを捧(ささ)げられた。
両陛下は海外に渡った日本人移住者や、その子孫たちとも交流を重ねてこられた。
平成9年、天皇陛下は天皇として初めて南米に入り、ブラジルとアルゼンチンを訪問された。
世界最大の日系社会があるブラジルでは、サンパウロで日系人らによる歓迎行事にご臨席。陛下は「移住者の長年にわたる並々ならぬ努力により、現在、日系の人々がブラジルの社会で信頼され、高い評価を得ていることを、喜ばしく思っております」とねぎらわれた。米国やカナダ、フィリピンでも、日系人と触れ合われた。
日本で暮らす日系人の子孫の存在も大切にされてきた。日本人のブラジル移住100周年だった20年4月には、日系人が多く住む群馬県をご訪問。工場で働く様子や日本語学習の教室などを視察された。
皇太子さまや、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さまも、それぞれの海外訪問時に日系人と交流されている。日系社会への温かいまなざしは、次世代の皇族方に受け継がれている。