改元によせて-海外から

暖房をお使いにならなかった 「米日カウンシル」会長 アイリーン・ヒラノ・イノウエ氏

米ロサンゼルスの自宅でインタビューに応じるアイリーン・ヒラノ・イノウエさん(黒瀬悦成撮影)
米ロサンゼルスの自宅でインタビューに応じるアイリーン・ヒラノ・イノウエさん(黒瀬悦成撮影)

 天皇陛下には何度かお目にかかる機会に恵まれました。最初は1994(平成6)年に天皇、皇后両陛下が米国にいらした折です。その頃、私はロサンゼルスで「全米日系人博物館」の館長をしていました。博物館では日系1世に関する企画展を行っており、両陛下が展示の観覧を希望されたのです。

 両陛下は、米国に渡った日系1世が苦難を乗り越えて主に農業など通じて暮らしの基盤を築き、家族らのために生き抜いてきた歴史に触れ、強い感銘を受けておられました。

 当時、1世の方々の大半は亡くなっていましたが、2世の人たちは第二次大戦から戦後を経て、天皇家との心情的なつながりは薄れ、日本の家族や祖先と会うことも少なくなっていました。それだけに、両陛下が米国にいらして日系人たちとお会いになられたのは非常に意義深く重要なことだったと思います。

 私はその後、99年に博物館が国際交流基金の国際交流奨励賞を受賞した際と、2012年の秋に私自身が国際交流基金賞を頂いた際に日本を訪れ、それぞれ両陛下にお会いしました。

 このうち12年は、両陛下が住まわれる皇居の御所に当時の夫、ダニエル・イノウエ(米上院議員、同年12月に死去)と一緒に招かれ、両陛下に内謁することができました。

 そのとき両陛下は「部屋がとても寒いのでは」と私たちに聞き、申し訳なく思うと述べられた上で、暖房を入れていないことを明らかにされたのです。

 日本では前年に東日本大震災がありました。両陛下は被災地で苦しむ方々に思いをめぐらされ、ご自身も暖房や冷房を使わず、エネルギーの節約に努めているのだと説明されました。

 私は、両陛下が日本の国民に寄り添い、自らも(苦しい)状況を少しでも分かち合おうとする姿に強く心を打たれました。予定では15~20分程度の儀礼訪問だったのですが、私たちは1時間以上も話し込んでしまいました。

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