もがき続けたエース 水谷、最後の世界卓球終える

 【ブダペスト=岡野祐己】平成の日本卓球界を牽引してきた水谷隼(木下グループ)にとって8度目の世界選手権個人戦は、シングルス3回戦敗退で幕を下ろした。最後と決めて臨んだ大会でも念願の表彰台には届かなかった。今後は2020年東京五輪の代表争いが焦点となるが「そこは葛藤する部分。まだ先のことは考えられない」。モチベーションの低下を感じさせる言葉を残し、平成最後の大舞台を去った。

 1989年、平成が始まった年に生まれた水谷は、長きにわたり卓球ニッポンのエースであり続けてきた。全日本選手権は2007年に当時最年少の17歳で制すると、13年連続で決勝に進出。うち10回で優勝した。世界の舞台でも、16年リオデジャネイロ五輪のシングルスで男女を通じ日本初の五輪メダルとなる銅を獲得。団体も銀メダルに導いた。

 だが、華々しいスポットライトの裏側では「卓球界の大きな変化に食らいつくので精いっぱい」だった。ボールの変化がその一つ。ITTF(国際卓球連盟)は2000年、直径を38ミリから40ミリに変更。14年には材質がセルロイドからプラスチックとなり、さらに回転をかけづらくなった。

 その結果、ボールに前進回転を与えるドライブやカウンター攻撃を武器としていた水谷は苦しんだ。一方、ボールの回転より速攻で勝負する張本智和(木下グループ)や丹羽孝希(スヴェンソン)らが台頭した。

 6月で30歳となる身体にも変化が訪れる。LED(発光ダイオード)照明でボールが見えづらくなり、最近は試合中にサングラスを着用。3試合を戦った今回の世界選手権では「待っているところにボールが来ても、なかなか体が反応してくれない」と衰えも感じた。

 世界選手権の開幕前は「出られなければさすがにショックは大きい」と東京五輪に闘志を燃やしていたが、3回戦で敗れた後は自信を失ったのか「葛藤」という言葉に変わった。五輪代表には来年1月時点での世界ランキング上位2人が選ばれるが、現状では4位の張本と8位の丹羽が13位の水谷の上にいる。今後はランクを上げるため国際大会でポイントを稼ぐことが必要になるが、水谷の心は揺れている。

 出場できてもできなかったとしても、東京五輪で代表から退くと明言している水谷。まもなく始まる令和(れいわ)の時代、どこに向かうのか。

会員限定記事会員サービス詳細