朝晴れエッセー

親父・4月19日

四角くごつい顔で、とてもハンサムとは言い難い。ずっと似たくないと思ってきたけど、最近鏡を見ているとつくづく似てきたと感じるときがある。

私が子供の頃の父は、建設会社の重機オペレーターやダンプカーの運転手をしていた。休みはせいぜい月に1日か2日で、その休日もパチンコやギャンブルで家にはいない。そんな風だからよく母にしかられていた。自分が悪いのがわかっているから、ふて腐れて黙っている。そんな父だった。

今考えれば、父が家族の団欒(だんらん)などに無頓着だったのには、少なからず生い立ちが影響していると思う。家が貧しくて兄弟姉妹がバラバラになり、父も子供の頃から作男として見ず知らずの家で育った。戦時中の混乱の中で、まともに学校へ行って勉強したり、友達と遊んだりする機会はほとんどなかった。父は当時のことを多く語らなかったが、他人とのかかわりの中で心から楽しんだり、癒やされたりすることが少なかったことは想像に難くない。私たちの世代には、とても信じられない時代だった。

それでも、父は働くことは厭(いと)わなかったので、息子2人を育て、孫も6人見ることができた。苦労した少年期を過ごしたが、人生の大仕事は立派にやり遂げたと思う。

今は、そんな父にとても感謝しているが、その気持ちを伝えることなく亡くなり、この4月で二十回忌となる。私自身、末の息子が就職して子育てを卒業した今こそ伝えたい。「親父(おやじ)ありがとう!」と。

松川 茂夫 61 埼玉県川口市