昭和50年、クラプトンが2度目の来日。東京・日本武道館での公演は、代表曲「いとしのレイラ」で始まり、薬物中毒から復活して火を噴くようなギター演奏と溌剌(はつらつ)とした歌声を披露、聴衆が熱狂した。ステージを降りた彼と行動をともにするなかで、人柄に感銘。揺るぎない人生訓を見いだす。「ユー・ファースト」だ。当時日本は経済大国となり、欧米のロックスターの来日公演は急増。高橋さんは「全ての経験が新鮮で毎日がドラマのように驚きの連続だった」と振り返る。
例えば、歌舞伎のくま取りのような化粧と演劇的なステージでロックコンサートのあり方を変えたキッス。昭和52年の初来日公演では「日本のメディアがメンバーの素顔を撮影した場合、多額の違約金を支払わねばならないんです。そこで、化粧をしたまま飛行機を降り、別室で化粧を落として入国審査を受け、再び化粧をして空港からホテルに向かいました」。
その後も「ホテルの部屋を昼間も真っ暗にしろ」というプリンスや「京都で舞妓(まいこ)さんと遊びたい」と言い出したジェネシス(フィル・コリンズ率いるバンド)の注文にも応じた。米メタルバンド、モトリー・クルーのベース奏者が新幹線車内でウイスキーの瓶を投げ大暴れした際は一緒に警察のお世話に…。
最も記憶に残るのは、昭和55年、バンド「ウイングス」で来日した元ビートルズのポール・マッカートニーが、大麻の不法所持で逮捕され、日本の留置場で9日間過ごし、全公演が中止になったことだ。
「実は大麻は同行していたポールの当時の妻、リンダの鞄(かばん)から出てきた。しかしポールは妻を庇(かば)い『私のものです』と答え、逮捕された。リンダはホテルで『私のせいでこんなことになった』と号泣していました」。大スターの素顔を垣間見た瞬間だった。