きょう発表される新元号。5月1日の皇太子さま即位とともに改元が行われ、平成から次の時代へと移る。これまで日本史の中で、1300年以上にわたり247の元号が定められてきた。現代の世界で、元号制度を保ち続けているのは日本のみ。時代を区切り、連続性の中で過去と現在をつなぐ役割を果たしている元号の歴史と、そこに込められた思いにふれてみよう。
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■645年「大化」が始まり
日本初の元号は飛鳥時代、皇極天皇4(645)年に制定された「大化」だ。大化の改新の直後、天皇の譲位を機に定められ、人心を一新して中国・唐にならった新国家建設へと進む象徴となった。
元号の起源は古代中国で、前漢の武帝(在位紀元前141~同87年)が定めた「建元」。君主が時間をも秩序づける高度な中央集権国家の証しとなる制度で、歴代中国王朝をはじめ日本や朝鮮、ベトナムなど漢字文化圏で受け継がれた。
日本の元号も「書経」「易経」など中国古典を出典とし、原則的に漢字2文字。ただ奈良時代の「天平感宝」から「神護景雲」までの5元号は例外的に4文字で、唐王朝での先例にならったとされる。元号候補を考えるのは律令制の役職「文章(もんじょう)博士」の仕事で、鎌倉時代以降、幕末までの考案者はほとんど菅原氏で占められている。
◆改元理由さまざま
明治以降の元号は、天皇の代替わりの時にのみ変わる「一世一元」。しかし、前近代では代替わりの際以外にも主に3つの理由で改元が行われていた。
奈良時代によくみられたのが、めでたい事物の出現を機会にした「祥瑞(しょうずい)改元」。逆に、天変地異や疫病、火災などの凶事を断ち切りたいとの願いを込めた「災異改元」もあり、江戸時代まで行われていた。ほか、干支でそれぞれ60年に1度回ってくる辛酉(しんゆう)、甲子(かっし)の年に起こるとされた政変を避けるための「革年改元」も慣例となっていた。