春の金沢はしっとりとした風が吹く。桜の咲き始め、時折突き刺すような冷たく強い風が吹き抜ける。小松と金沢を結ぶ連絡バスからみえた荒れた波が交差する。ふと、鬱蒼(うっそう)とした黒い木々から垣間見える能登の海がみえた気がした。
黒い木は能登でアテと呼ばれる木だ。檜によく似てアスナロとも呼ばれる。アテの古木を前にすると、「今度はどう遊んでやろうか」と思う。故角偉三郎さんは笑った。
アテは輪島の漆職人が使う木地の素材のひとつだ。あまりにも身近なこの木材は輪島地方では自在に使われ、漆のパレットのようなものにもあてがわれていた。漆が無造作にじっとりと塗りこまれたアテの木片をみて、これも使わない手はない。角さんのいたずらな心がうずく。いかに輪島を生かしめてやろうか、と考えていた風だった。
この人は「輪島そのもの」だ。使い古された「アテの木片」はいつしか、誰しもが欲しいと思うような芸術品になっていた。しかし、角さんは輪島だけではなかった。「漆列島」などと語り始めた。輪島ばかりではなく、漆業界全体のことを憂えていた。
漆は産地によって、持ち味が異なる。職人の技や努力はいうまでもない。風土が影響する。湿度や乾燥によって、全く様相を変える。まして、木地が異なれば漆の持ち味が異なるのは当たり前だ。いうまでもなく漆器に使う、木地は地方ごとに異なる。風土によって、植生が異なるからだ。
その木々を知り抜く。木の性質を読み解く。角さんの中に地方を渡り歩いてきた木地師の営みをみたような気がした。
塗師の傍らには腕のよい目利きとしての「木地師」がいた。「えぐり」で、「ろくろ」で風土をかたどる。塗師の多くは定住型であるが、木地師は移動する。木材を求め、腕のよい鍛冶との出会いを求めて山を歩き、地方を点々と移り住んできた。木地師にはそうした「漆列島」へ繋がる素地がある。土地に根ざした木材をその土地の器として生み出す天性の感性があった。
かつて、庶民の多くはただ木をえぐり貫いた器を使用していた。何年も使いこなした木の器は変容する。その変容に応じて、遜色を与えず、木材の利点を最大限に生かす方法を見いだす。知恵を重ねる。今ではぜいたく品のようにみなされる漆器は、冷蔵庫のない時代、防腐、防虫効果など日本の風土の中における「知恵」の塊だった。清潔とはいえない生活を送る人々には食べ物を盛る器とて生命の存続に必要不可欠なものだったのだ。
木地師の故郷たる里は東近江。木地師のルーツをたどれば大概ここに行き着く。この里には貴人伝説がある。山奥や海辺、島のようなところに住む人々には「秘密」があり、その秘密は貴人を守ることや、祀ること。また彼らから伝えられた技術を守ることにあった。
木地師にとってそうした存在は「文徳天皇の皇子である惟喬親王」だった。天皇の長子でありながらも、母親の出自が紀氏であったことによって、不遇の人生を送らなければならなかった親王。彼は小野宮と呼ばれていた。
したがって、木地師には小野姓を名乗るものもいたが、多くは小椋、小倉、大倉、大蔵姓を名乗る。みな山の「クラ」を寝どころとし、山を知り尽くす人々。惟喬親王(これたかしんのう)が伝えたとされる「ろくろ」を自由に扱いこなすことによって、木地師の技術は圧倒的に進化し、より日本各地へと広がった。
彼らはまたタガネツキノミコトという神をもあがめる。鏨(たがね)である。鏨を生み出す人々が「木を扱う人々」に術を与えた。
「漆列島」とは「漆を通して日本の深層部」をみる、ということなのだろう。輪島に近い石川県山中には山中漆と呼ばれる漆器がある。山中の漆器は「欅」や「栃」を木地としたものが多かった。木材を縦にして木地を取る方法「堅木取り」で有名である。この方法は材料効率がよく、狂いが少ないとされる。越前漆器なども同様である。
秋田の川連漆器は「栃」や「ぶな」、「朴」などを木地とする。秋田杉で有名な秋田であるが、杉は漆には向いていないのか、拭き漆で使われることはあったが、ため漆の漆器はあまりみられない。
また、川連では横木取りが多い。これは上下の圧力に強い、という利点がある。そして、木地に使う木を燻煙乾燥させるという点に特徴がある。木地を取った後の木屑を燃やすことで乾燥させる。時間をかけずに無駄をなくす意味もあるが、木材の中に含まれるタンパク質と木を燃やしたすすが反応し、より材木を強化し、防虫、防腐効果も高まるらしい。川連は塗りもすこぶる美しいが、木地に対する工夫も興味深い。
紀州は黒江塗り。根来寺の僧侶たちが日常に使っていた漆器、根来塗りが進化し現代にまで及ぶ。黒漆の上に重ねた朱漆が時代とともにはげて、ところどころ黒い塗りが現れた、文様が面白いということから波及した。そういえば、若狭塗も津軽塗りも研ぎだし変わり塗りと呼ばれ、なんども漆を塗り重ね、削り出すことによってでてくるもようを楽しむという点において、近い発想だ。
若狭塗は今では箸がすっかり定着している。らでんや貝、金箔(きんぱく)などをあしらった箸も手の触るところ、口に入るところによって、創意工夫がなされている。
それぞれの特色に職人の気遣いが感じられる。津軽塗は若狭から伝えられ、北の地で進化を遂げた。黙々となにもない北の大地で積み重ねられた技術のたまもののように思われてくる。
アテに近い素材、青森ヒバを主材料とする津軽塗。何度も重ねていく塗りの厚さにしばしば、馬鹿塗りと呼ばれる。厚塗りなのではげる心配がない。馬鹿塗りのお気に入りのげたがある。たっぷりと漆を厚く塗り重ねてあるためか、とても温かく感じられる。湿度を吸湿し、足の裏は他のげたよりさらさらではき心地もよい。
ほかにも、浄法寺、奥久慈、木曾、会津、江戸、鎌倉、東久留米、琉球、と、まだまだ語りつくせぬほど土地に根ざした漆の技術がある。古今東西、まさに漆列島、風土が変われば「もの」も変わる。そして、それらをつなぐ、深い「クラ」の奥に木地師の気概がみえる。
そういえば、小野氏は冥土へ行き来する人でもあった。「漆列島」。それは空間軸だけではなく、時間軸をも担う中にかたどられた「日本」という国の深層部へ繋がるヒントなのかもしれない。
<プロフィール>
井戸理恵子(いど・りえこ) 民俗情報工学研究家。1964年北海道北見市生まれ。國學院大学卒。多摩美術大学非常勤講師。ニッポン放送「魔法のラジオ」企画・監修。ゆきすきのくに代表として各種日本文化に関わるイベント開催。オーガニックカフェ「ゆきすきのくに」にて自然食を提供。二十数年来親交のある職人たちと古い技術を訪ねて歩く《職人出逢い旅》など15年以上に渡って実施中。気心しれた仲間との旅をみな楽しみにしてくれている。主な著書に「暦・しきたり・アエノコト 日本人が大切にしたいうつくしい暮らし」「こころもからだも整うしきたり十二か月」(ともに、かんき出版刊)、「日本人なら知っておきたい!カミサマを味方につける本」(PHP研究所)などがある。