96歳で死去のドナルド・キーンさん 養子の浄瑠璃三味線奏者・誠己さんが悼む

ドナルド・キーンさん(右)とキーン誠己さん=平成30年2月、東京都北区の自宅で(酒巻俊介撮影)
ドナルド・キーンさん(右)とキーン誠己さん=平成30年2月、東京都北区の自宅で(酒巻俊介撮影)

 ■「日本人として生活を楽しんでいた」

 「われわれ日本人以上に日本を楽しんでおり、とても幸せな生涯だったと思います」。先月、96歳で死去した日本文学研究者、ドナルド・キーンさんの養子で浄瑠璃三味線奏者のキーン誠己(せいき)さん(68)が4日、東京都内で報道各社の取材に応じ、ときおり声を詰まらせながらキーンさんの面影をしのんだ。

 誠己さんによると、キーンさんは一昨年の夏ごろから体調を崩しがちになった。「父は頭が良く、勘のいい人でした。繊細で心配りのある人でもありましたので、手紙や書類など身辺の整理をあらかじめしていました」

 昨年9月には意識を失い入院。その後、持ち直したものの、今年2月に誤嚥(ごえん)性肺炎で再び入院した。亡くなる前日の23日には親しい知人らが病室を訪れ、笑顔を浮かべていたという。だが、その後容体が急変。24日早朝に息を引き取った。

 「(キーンさんの表情は)安らかでした。苦しむことなく天国に召された、という印象でした」

 2人が初めて出会ったのは平成18年。古典芸能に精通しているキーンさんのもとに、誠己さんが訪れたのがきっかけだった。以後、キーンさんとの交流を深めていき、24年にキーンさんが日本国籍を取得したのちに養子縁組をした。

 「最初会ったときは、まさか養子になるとは思わなかった。父は家族に飢えており、私を養子にすることで、日本人の家族ができたことを喜んでいました」

 その後も誠己さんは、キーンさんの身の回りの世話や仕事の秘書業務などを行った。「知り合ってから12年と3カ月。長いようで短く、短いようで長かった。普通の親子以上の、密度の濃い親子でした」

 強く印象に残る言葉があるという。亡くなる1週間ほど前、キーンさんが口にした「You are everything for me,Asazo(君は僕の全てだ、浅造)」という言葉。キーンさんは普段、誠己さんのことを文楽の名跡である「浅造」と呼んでいた。「その時の目と表情がとても美しかった。その時は何げなく聞きましたが、今はそれが一番の慰めになっています」と語り、目に涙をにじませた。