虎番疾風録

大ちゃん「ご無沙汰しすぎ」 其の二13完

ブレイザー監督(左)の退団を発表する阪神・小津球団社長
ブレイザー監督(左)の退団を発表する阪神・小津球団社長

虎番疾風録 其の二12

神宮球場のネット裏に朝潮はいた。もう一人、力士を連れている。トラの法被を着たファンに取り囲まれ、ちょっとしたサイン会になっていた。

〈さすが大ちゃん、えらい人気や〉このとき(昭和60年)の朝潮は、まだ大銀杏(おおいちょう)も結えずちょんまげ頭だった54年の「大ちゃん」ではない。58年3月の春場所(大阪)で12勝3敗の好成績を挙げ「大関」に昇進。しこ名も「朝汐」から「朝潮」に変わっていた。そして60年3月の春場所で、念願の幕内初優勝を果たした。

千秋楽で大関・若嶋津と12勝2敗同士の相星決戦。当たってすぐ右上手を引き、ぐいぐいと寄っていく。最後は上手投げから寄り倒す会心の相撲だった。

余談だが、朝潮の大阪での初優勝は当時、阪神ファンの間で吉兆とされた。「朝潮でも優勝するんやから、阪神も優勝するかもしれんで」というわけ。えらい言われようである。だが、その予言通り、吉田監督率いる阪神は21年ぶりのリーグ優勝に向けて奇跡の快進撃を続けていた。球場にやってきた朝潮を、虎ファンはまるで神様を見るような目で見ていた。

サイン会が終わり今度は記者たちが取り囲んだ。「お久しぶり」と声をかけた。しばし沈黙。やがて不思議そうな顔で筆者をみつめていた朝潮が口を開いた。「龍一か?」。大ちゃんは覚えていてくれた。笑ってうなずく。

「野球の方の取材に回ったとは聞いてたが、お前、本当に虎番記者になったのか?」

「うん、あの年の12月から…。大ちゃんのおかげ。ご無沙汰してます」と右手を差し出す。

「バカ、ご無沙汰し過ぎだろう」

朝潮は大きな手で握り返してきた。6年ぶりの再会はちょっと痛かった。

第2章はここで「おわり」である。(敬称略)

虎番疾風録 其の参1

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