外交安保取材

日本政府が触れたくない過去…かつては「北方領土は二島」の見解

 四島が奪われたのは第二次大戦末期、正確には日本が降伏を宣言した後のことだ。日ソ中立条約を無視して対日参戦したソ連軍は、1945年8月18日に千島列島への攻撃を開始し、同月28日に択捉島、翌9月1日から4日にかけて国後、歯舞、色丹の三島を占領した。

 ソ連の法的地位を受け継いだロシアも、この国際法違反の事実を認めなければならないはずだが、ラブロフ外相は「第二次大戦の結果、(北方四島が)正当にロシア領となったことを認めない限り、平和条約締結交渉は進展しない」と強気の姿勢を崩さない。

 大戦末期の1945年2月に米英ソ3カ国の首脳が署名したヤルタ協定には、ソ連の対日参戦と引き換えに、千島列島がソ連に「引き渡される」と書かれている。ソ連側からみれば、実際に参戦したのだから、千島列島は「正当に」引き渡されたということなのだろう。

 日本が千島列島に対する「すべての権利、権原及び請求権を放棄する」と明記したサンフランシスコ講和条約も、ロシア側の根拠の一部になっている。ソ連は条約に調印していないのにもかかわらずだ。

 もっとも、こうしたロシア側の理屈も、千島列島に北方四島が含まれないことを証明できれば、論争にはならない。実際、樺太・千島交換条約では、北方四島は対象になっていない。

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