昭和54年11月27日に行われたドラフト会議は、早大・岡田彰布の強運に驚かされた。通算打率・379、本塁打20本、81打点。東京六大学屈指のスラッガーを1位指名したのは阪神、阪急、近鉄、南海の関西4球団とヤクルト、西武の計6球団。もちろん岡田の希望は阪神。父親・勇郎さんが古くから阪神の選手たちと交流があり、名三塁手・三宅秀史が大阪市内の自宅にやってきたこともあった。
午前11時30分、ドラフト会場に一瞬の静寂。静かに右手を挙げたのは阪神の河崎取締役だった。前年(昭和53年)に岡崎代表が引いた「江川くじ」に続く大当たり。「中西コーチから最初に触れたくじを取りなさいとアドバイスされ、その通りにしたら…」と河崎は声を震わせた。
広 島 片岡光宏 投18 府中東
大 洋 杉永政信 投18 鯖江
中 日 牛島和彦 投18 浪商
阪 神 岡田彰布 内22 早大
巨 人 林 泰宏 投18 市尼崎
ヤクルト 片岡大蔵 投22 国士舘大
近 鉄 藤原保行 投22 名城大
阪 急 木下智裕 投22 東海大
日本ハム 木田 勇 投25 日本鋼管
ロッテ 竹本由紀夫 投22 新日鉄室蘭
南 海 名取和彦 投26 日産自動車
西 武 鴻野淳基 内18 名電
後年、このときの心境を岡田に尋ねた。すると「あぁ、阪神に当たると思とったよ。オレはこの手のくじ運はめちゃくちゃ強いんや」と平然と言ってのけた。実は岡田はこれと同じせりふをある人物にも語っていた。
ドラフト会議の数カ月前のことである。岡田は西武グループの総帥・堤義明から食事会に招かれた。その席には各大学の有望選手たちも招かれていた。そして堤が岡田にこう声をかけた。
「岡田君、君の希望は阪神タイガースと聞いているが、もし、希望する球団から指名されなかったら、ウチに来てくれないか。支度金として1億円を用意している」
堤のいう「ウチ」とは社会人野球チームの「プリンスホテル」。しかも1億円の支度金を出すという。当時、阪神が岡田へ支払った契約金は6千万円、年俸420万円(推定)。アマ野球では考えられない金額だ。ところが、岡田は「すみません。きっとボクは阪神に当たると思います。この手のくじ運はものすごく強いんですよ」と宣言したという。
なんか根拠でもあったんか?と尋ねると「そんなもん、あるわけないやん」と大笑い。いやはや大物である。(敬称略)