■「反実仮想」の学術的意義
苦手な科目を聞けば歴史という学生は多い。それは暗記科目であり、過去の歴史的事実をひたすら覚えなければならないと考えているからだ。そんな退屈な授業経験ゆえに「隠された真実の歴史」に時に人は魅了されてしまう。
本書は、これまでの歴史研究では都合のいい歴史的解釈とも見なされてきた「もしもあの時、こうなっていたら」という思考方法を考察する。タイトルは逆の印象を与えるかもしれないが、歴史が陰謀論に利用されたり都合良く改竄(かいざん)されたりしないために、むしろ「歴史のif」を学ぶ有効性がわかる好著である。
例えば「日本やドイツが勝った第二次世界大戦」はかつて、海外SF(フィリップ・K・ディック『高い城の男』)や歴史改変小説(1990年代の荒巻義雄『紺碧(こんぺき)の艦隊』など)といった有名な作品があり、娯楽として楽しまれてきた。一見、荒唐無稽のファンタジー小説が、ベストセラーとなるのはなぜか。現実の歴史を利用した舞台設定に、「なぜ実際の歴史はそうはならなかったのか」と問い、「ありえたかもしれない未来」を考えることの学術的可能性を探ろうとする著者の試みにハッとさせられる。
たしかに、社会学者のマックス・ウェーバーや歴史研究のE・H・カー(時に否定的でもあったが)ら、過去にも同じような問題提起をした学者は多い。歴史研究において「反実仮想」、つまり「ifの歴史」がどのように有効なのかが丁寧に議論され、米英を中心に(近年では日本でも)それがひとつの分析枠組みとして機能していることが示される。
「歴史のif」を、敗戦国日本のナショナルな願望や、ナチズムへの危ない傾倒と批判するのではなく、その思考実験としての側面を分析するところに本書の魅力はある。
歴史は単なる過去の史実の積み重ねでもなければ、主義や思想として語るものでもない。今を生きる人が、自らの頭で考えるヒントを得るために必要なものであることを本書は教えてくれる。巻末資料「歴史改変小説」リストも読書案内としてオススメです。(筑摩選書・1600円+税)
評・石田あゆう(桃山学院大学准教授)