虎番疾風録

掛布・江川、それぞれの始まり 其の二1

巨人・正力オーナー(右)から帽子をかぶらせてもらい、緊張する江川
巨人・正力オーナー(右)から帽子をかぶらせてもらい、緊張する江川

虎番疾風録 其の一40

球春来る! 昭和54年4月7日、プロ野球がセ、パ同時に開幕した。

パ・リーグでは近鉄・鈴木が西武・東尾と投げ合い、8安打完封勝利を挙げれば、阪急の山田も南海を6安打完封。両エースが貫禄を見せつけた。

新生ブレイザー阪神は敵地での古葉広島との一戦。開幕投手は江本が務めた。

4-1で迎えた七回、先頭の掛布がこの回からリリーフした左腕・大野の初球を左翼へライナーで叩(たた)き込んだ。田淵が西武へトレードとなり「新主砲」としての記念すべき第1号。このとき掛布は23歳。まだ、笑ってベースを一周していた。

◇4月7日 開幕戦 広島

阪神 030 010 100=5

広島 001 000 210=4

勝 江本1勝 敗 福士1敗 S 池内1S

本 衣笠(1)(江本)掛布(1)(大野)衣笠(2)(江本)水谷(1)(江本)

まだ、笑って―とは奇妙な表現だが、実はこのあと掛布はホームランを放っても笑わなくなった。後年、虎番となった筆者は掛布にその理由を尋ねた。

「笑わないんじゃなく、笑えなくなったんだよ」と掛布は言った。この昭和54年、掛布は48ホーマーを放ち初の本塁打王に輝く。初めはホームランを打っても笑顔でベースを回り、ベンチに戻ると仲間たちとはしゃいでいた。ところが、そんな掛布の耳に「おいおい、もう主砲様になった気分ではしゃいではるで。若造が調子に乗りよって」と先輩たちの陰口が聞こえたのである。「チームをまとめるには、ボクはまだ笑っちゃいけない」。笑わない主砲が誕生した。

「4月7日」―は江川卓にとっても、新たな野球人生の始まりでもあった。東京・虎ノ門のホテルオークラ別館で「巨人・江川」の入団発表が行われた。背番号「30」のユニホームを着て、正力オーナーから巨人軍の帽子をかぶらせてもらう江川はいつになく緊張していた。

「きょうは顔が硬くなってます。これからはスマイルを心がけます」。会見を終え午後2時前、川崎市多摩区の合宿所に入寮。そして寮長から合宿所での「仕事と係」を伝えられた。(1)巨人軍旗係(毎朝夕に昇降)(2)電話係(大きな声で「はい、巨人軍合宿所です」と言う)(3)送迎バスの清掃(6日に1回)―など。

「はい、わかりました。よろしくお願いします」。目を輝かせる江川、23歳の春のことである。(敬称略)

虎番疾風録 其の二2

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