話の肖像画

元警視総監・池田克彦(66)(1)原発放水、苦渋の隊員派遣

(寺河内美奈撮影)
(寺河内美奈撮影)

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〈東日本大震災で世界に衝撃を与えた東京電力福島第1原発事故で、原発への放水が行われた。危険な陸からの最初の放水を行ったのが警視庁の機動隊員だった。平成23年当時、警視総監として、苦渋の決断で隊員を派遣した〉

警察庁長官から電話で「放水のための部隊を出してほしい」と要請がありました。警視庁の放水車は暴徒鎮圧用で、物を冷やしたり、火事を消したりするものではありません。それでも打診があるとは、よほどの事情だったのでしょう。東電社員が道案内をするとも聞き、「分かりました、出します」と答えました。東電は責任ある立場とはいえ、民間人が体を張るのに、われわれが逃げるわけにはいきません。

自衛隊などに安全面での協力を要請し、警視庁の玄関で隊員を送り出しました。「日本の未来は君たちにかかっている。大変な任務だがお願いしたい」と声をかけました。隊員はみんな、やる気に満ちた表情でしたね。

〈派遣されたのは11人。3月17日、約44トン放水した。当時の写真には防護マスクやヘルメットで身を固めた隊員たちの姿が写っている〉

早く任務を終えて帰ってきてほしい。待っている間は現状が分からず、長く感じられました。終了の報告がいつくるのか、そればかりを気にしていました。警備部長が「終わりました。撤収しているようです」と、総監室に駆け込んできたときはホッとしましたね。

総監室で出迎えの準備をしていると、幹部が「とにかく隊員の体を触ってやってほしい」と言うんです。隊員たちが自身の被曝(ひばく)を案じているかもしれない、と。「平気だと示してあげてください」というので、「分かった。何でもやるぜ」と応じました。戻ってきた隊員たちとは握手したり、ハグ(抱擁)したりしましたよ。

隊員たちには、宮沢賢治の童話「グスコーブドリの伝記」で、冷害を防ぐために自らを犠牲にした主人公の話をし、「同じような立場に立ってもらった。つらい立場で本当によく頑張ってくれた」と話しました。しっかりとした隊員たちの表情の一方、陪席していた幹部、表彰係はみんな、おいおい大泣きしてました。みんな、自分のことのように思っていたんですね。

庁内の儀式、礼式を重んじる警視庁は「形式庁」と言われることもありますが、相互の絆を確認する形式がなければ組織はもたない。そのことを改めて感じました。

〈隊を率いたのは当時の警備2課管理官で、既に退職している大井川典次(よしつぐ)さん。この年の10月、消防、自衛隊の指揮官らと一緒にスペイン皇太子から「共存共栄賞」を授与された〉

大井川君は家族に言わず、放水に行ったそうです。心配をかけたくない思いと、仕事のことは言えない警察官の哲学があったのでしょう。奥さんは授与を伝える新聞で、初めて知ったと聞きました。(聞き手 高久清史)

【プロフィル】池田克彦

いけだ・かつひこ 昭和28年2月、神戸市生まれ。京都大学を卒業後、警察庁入庁。警視庁第7機動隊長、警備1課長、警備部長、埼玉県警本部長、警察庁警備局長などを歴任した。大阪府警警備部長時代に阪神大震災が発生。平成22年に第88代警視総監に就任。退官後、原子力規制庁の初代長官を務めた。29年6月から日本道路交通情報センター理事長。

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